「アジサイを背にして笑う亡き君は」
告別式の日、「ベストパートナーでした。もし来世があるなら、また一緒になりたいです」と挨拶した日から49日がもう少しできます。あと数日で君は僕の傍から居なくなるのですね。
君は僕と一回り以上歳の違う、姉さん女房でした。僕はよく君の長男と間違われましたが、君はいつも堂々と「なかなか、若い主人で」と笑っていましたね。
癌と診断された日の夜は、布団を並べて涙を流す長い夜となりました。君はその時から、4ヵ月間、僕の為だけに癌と闘ってくれました。でも、まったく食事がとれない君に、僕は、一口でも食べてもらいたい気持ちと、近い将来、君がいなくなってしまうという怖れから「一口も食べられないようなら、治療を辞めてしまえ」と言ってしまいました。後悔の思いと自分の愚かさを痛感し、心の中で謝っている僕に、君は、「そんなこと言ったらダメ。2人に残された時間は限られているから」と泣きながら言いましたね。少しでも食べることができればと入院中も食事は一緒に食べました。面会時間ぎりぎりまで傍にいて、別れ際、君の胸に頭を置くとそっと撫ぜてくれましたね。君の温もりと鼓動が今も僕を一人ではないと思わせてくれています。
終末期の一時、痛みのない静かな時間がありました。君は僕のことを「邦生」と呼び僕は「すいさん」と呼んだ43年間の結婚生活を振り返って語り合いましたね。その時、君は「邦生と一緒で幸せだった。楽しかったありがとう」と何度も言いました。でも、一番つらかったのは、通院治療の時、病院に着くと、自分を車に残し、寒い中を小走りに車いすを取りに行く僕の後ろ姿を見る時だったと言いましたね。そんな君の通夜の日、集まってくれた人たちが、すいさんらしいエピソードだと笑ったのは、いつも大音響で軍歌をかけて走り回る車を止めて、「お兄ちゃん、同じ曲ばかりでなくて他の軍歌はないの?」と言ったこと。彼らは「おばちゃん、ごめんな。これしかないです」と答えたという出来事でした。