「イクメン」という言葉はまだなかった時代でしたが、「今考えると、お父さんはイクメンだったなぁ。」とお義母さんは常々言います。赤ん坊だった夫をおぶりながら掃除機をかけるお義父さんの写真を見ると、
そうだったことは容易に想像できました。
娘が生まれる三ヶ月前、残り一ヶ月の余命を宣告されたお義父さん。
初孫の誕生を前に、お医者様の宣告はあまりにも無常なものでした。
「せめて孫が生まれるまでは…今できる最大限の治療をして下さい。お願いします」とお義父さんは一番辛い治療を選択しました。私はそれからというもの、毎日お腹の子に「あなたが生まれてくるのをおじいちゃんはとても楽しみにしているのよ。一緒に応援してね」と祈るような気持ちで言っていました。
予定日の一ヶ月前、「お義父さんが生きている間に生まれたら、何としてでも会わせたい!」そう思う私たちの気持ちを読み取られたかのようなメールが届きました。
「二人の大切な子です。僕に何かあったとしても無理して来てはなりません」
コロナが流行り始めた頃、地方から東京に行くことのリスクを考えた上での言葉。本当は会いたくて仕方ないだろうに。まだ見ぬ孫のことを大切に思うからこその言葉でした。
お義父さんはその後も厳しい治療に耐え抜きました。そして娘は無事に生まれました。私はすぐに生まれたての娘をうつしながらTV電話をしました。お義父さんは画面に映る娘をなぞるようにしながら、泣いて喜んでくれていました。その後も私は毎日娘の写真や動画を撮って送り続けました。「たくさんの写真と動画をありがとう」「今日も可愛いね」「二人に似ているね」そんな返事もだんだん来なくなっていきました。娘が生まれて二ヶ月後、お義父さんは天国に旅立ちました。言い渡された余命より四ヶ月も長く生きるなんて。お義父さんの頑張りには驚かされました。でも欲を言うなら、娘を抱っこしてもらいたかった。目尻が下がったお義父さんを見たかった。それから月日が経ち、娘は二歳になりました。二回目の命日には「いただきます」と同じポーズでご挨拶をすることができましたよ。今でも、お義父さんが生きていたらどんな風に娘を可愛がってくれたのだろうと考えてしまって、切なくなることがあります。でも、きっと天国から温かく見守ってくれているのでしょうね。
お義父さん、来年にはもう一人見守ってもらいたい人が増えます。
次の子のことも、どうかよろしくお願いしますね。