父さんと母さんを無性に恋しくなり、大空を見上げる時があります。
三十七歳で復員して、山形県に入植した父さん。父さんを支えてきた母さん。荒野で生き抜いた父さん達は、人生のお手本です。そして私の心の拠り所です。
「食うや食わず」の暮らしの中、父さん達の食べ物は、子ども達の食べ残しだったね。あの夜のことを覚えていますか。父さん達の夕食を残さないで、四人の子どもが夢中になって全部食べたことを。父さんは鍋の底を指でこすっていたけれど、私は知らぬ振りして横目で見ていました。それなのに「腹いっぱいに食べたか」と、頭を代わりばんこになでてくれた父さん。そばで、にっこり笑っていた母さん。でもね。あの夜のさつま芋のおかゆは特別に美味しかったよ。それはあの日は、朝から野草の実しか食べていなかったから。兄は五年生、私は三年生の秋でした。父さん達は何も食べないで、お湯をすすっていたことも知っているよ。あれから半世紀が過ぎました。今は申し訳なくて、恥ずかしく思います。
昨年の十一月、父さんの二十三回忌の法要の席で、兄がそのことを打ち明けたのです。妹達は幼いから覚えていなかったけれど、涙を流して聞いておりました。「残さず全部食べてごめんね」。父さん達の遺影に兄妹四人で謝った声が聞こえましたか。私はやっと胸のつかえが取れました。
ちゃんと謝れなかった言葉をずっと心の中で繰り返していたのに、もっと早く謝ればよかったと思ったよ。今でも「食」の大切さに気持ちを引き締めています。
家族で過ごした日々は懐かしくて、胸がきゅんとします。「心の宝物」になりました。
子ども達を大切に育ててくれた父さんと母さんに、いっぱい、いっぱい有り難う。