お母さん、九十六歳の永遠の旅支度を兄弟姉妹で整えた日の嬉しい驚きを私は忘れることができません。
お母さんが亡くなったのに嬉しいだなんて不謹慎だと怒らないで聞いてください。
私が驚いたのは白足袋を左右逆に履(は)かせるために持ったお母さんの足の小ささ、抜けるような白さ、艶(なま)めかしいと思えるほどの綺麗さだったのです。九十六歳のお母さんの足がですよ。
六人の子供を育てるために化粧もせずに働いた顔や手は黒ずんでいましたね。私はそれがお母さんの肌の色だと思ってました。
早くに東京に出てそのまま結婚した私は碌(ろく)な親孝行もできずに時間ばかりが過ぎてしまいました。それなのに帰省するたびに、
「私は子供たちにも恵まれたし、長生きもできたし、村一番の幸せ者だよ」
という言葉をいつもむず痒い気持ちで聞いていました。
これはたまにしか会えない私へのはなむけだなと思っていました。だって、苦労の連続で歳をとってしまったんですものね。
母親としての喜びはあったとしても、妻である喜びは? 女としての誇りは?
私の疑問は綺麗な足を見た途端にすーっと消えて行きました。そして思いました。最後の喜怒哀楽は足に出るんだなーと。
同時に遠い昔に娘である私の前でヌケヌケと言ったセリフを思い出しました。
「見合いした時の和一郎(私の父)さんは惚れ惚れするほどいい男だったよ。でも姑も小姑も居たから断ろうと思ったんだけど、手があかぎれで真っ赤になっててね。それを見たら可哀想になって結婚しちゃった」
お母さん、あっけらかんとして情の深いあなたに育てられた私達兄弟姉妹の方が余程「村一番の幸せ者」かも知れませんね。
あっ、そうそう。あの日以来、私は足の手入れを丹念にするようになりました。