お母さん、お母さんが私の腕の中で息を引きとって四年も経つというのに、どの季節にもお母さんの面影・ぬくもり・香り・語りがあり、何を見ても、お母さんに語りかける、甘えん坊で、涙を忘れることができない昔のままの、情けない自分がまだここにいます。
お母さんは、いつでも、明るく、気丈に振る舞い、元気印の看板を背負って歩いているような一見、強そうに見える人でしたが、本当は、寂しがり屋で、心配性で、泣き虫で、精神的に弱い人でしたね。私と喧嘩すると二人でよく泣いては「お母さんと私の前世は、姉妹なんだよね。隠さず何でも言い合っちゃうから、喧嘩になるんだよ」と鼻水すすりながら、二人で泣き笑いした時間が懐かしいです。
お母さん、私は嘘が嫌いで、隠さず何でも話していたけど、どうしても嘘を突き通すしかなかったことがあります。父の病名と余命。そして、お母さんの病名と余命。これだけは、最後まで嘘を突き通しました。心配性の貴女を、私達家族は知っていたから。お母さんの口癖は「長生きして、ひ孫の湯浴びせをしなきゃ、元気でいなきゃ」でしたね。この言葉の重みが、私達家族の「告知せず、嘘を突き通そう」の決まり事になったのです。
ごめんね。自分の病名をしっかり受け止めたかったろうけど、私には、告知する勇気がありませんでした。病におびえる姿と涙を受け止める勇気がなかった。お母さんには、死を見つめるのではなく、前向きに一日でも長く生きてほしかった。亡くなる二週間前、「私の病気なんなの。治らないの。看病辛いだろう」と聞かれても、「生きて。私の為に」としか言えなかった。許してください。でも、お母さんは、最期まで生への道を諦める事なく懸命に歩いてくれた。本当にありがとう。だから、嘘をついた事に後悔はしていない。お母さんは、私たち家族の誇りです。