かあちゃんが死んでから、もう35年もたったね。子どもがでけへんからって夫の兄夫婦から、生後すぐの赤児のわたしをもろて、米粉の汁を飲ませて大きいしたっていうのに、学校のセンセ(先生)にするんじゃって頑張ったというのに、わたしは、かあちゃんのことをいっぺんも本気で“かあちゃん”と呼んであげへんかったような気がする。かあちゃんが“かあちゃん”と言われることをいちばん喜ぶのが分かっててよ、言えへんかった。
それ、なんでか知ってる?
「産みもせえへんのに、よう産まんのに“親面”するな!」って、わたし思ててん。
逓信局つとめの父ちゃんが大酒のみで、安サラリーマンの給料をろくに家に入れへんから、三日間も豆腐だけ食べとったよ、といつか、かあちゃん洩らしてたわ。
それでもわたしには人並みの服を着せ、学級委員のわたしの授業参観に行くのだけが楽しみやって言うてたなあ。
あの、わたしが17歳の夏の夜、かあちゃん、絶叫したなあ。おぼえてる?
「女は母になりたいんや、子どもが欲しいんや、世間はもらい子、もらい子って言うけど、わたしは産まんでも実の親には負けへん、立派に大きしたる」
かあちゃんは髪をかきむしって泣いた。わたしはちょっとこわかった。それでもあくる日から、またわたしはえらそうにしていたなあ。
でも、ああ言えばこういう、けんかの明け暮れに、血を分けた父ちゃんは入られへんかったやんか。わたしとかあちゃんの“二人の世界”やったんやわ。
こう書いてたら、なんやおかしいなってきた。かあちゃんの笑い声がきこえてんもん。笑い顔も見えるみたい。
母ちゃん、ごめん。ほんとはわたし「かあちゃん」って言いたかったんやわ。言いたかったのに言われへんかったんやわ。
天国のかあちゃん! 母ちゃん、母ちゃん! かあちゃん、かあちゃぁぁぁーん。