これはまだ夫が元気だった頃のこと。親が私の母一人になってしまった時、温泉に誘うようになる。母はその日を待ち望んだ。温泉好きの夫は宿に着くや否や湯に入る。時間が許す限り、帰る直前まで幾度となく入った。私はそこまでではない。母はと言えば、そんな彼の後を追う。
「おばあさんに好かれてもなあ」
お酒を前に上機嫌で笑った。
その夫は五十七歳という若さで突然亡くなった。そして翌年の春四月、母までもが帰らぬ人となった。夫の死から半年も経っていなかった。
遺品整理と簡単に人は言うけれど、中々手につかない。故人の品を目にするのは辛い。ふとアルバムが目に留まる。楽しかった時間を蘇らせてくれるかも知れない。そんなせめてもの思いがあった。引張りだした、その間から滑り落ちた茶封筒。中を見て小さく声をあげた。アイロンをし、きれいに畳まれた一枚のスカーフ。桜色の水玉模様のそれは、私が高校生の時の母からのプレゼントだった。気に入らない。何より安っぽかった。母をがっかりさせたと思う。五人も兄弟がいて母にすれば、これが精一杯だったろうに。
それを―。
残っていたことへの感謝と、あの時言えなかったありがとうを、そっと声に出した。
記憶が一度に呼び起こされる。仕事を休み学費を届けに来た母。その時、先生が私を誉めていたと嬉々として話す母。悩む娘を前に、ただただ涙を流し泣いてくれた―。
母が病を乗り越え、リハビリに励んで頑張っていたのは取りも直さず、私を助けてくれたのだと気付く。夫の死に打ち拉がれていた私を救ってくれたのだ。今更ながら思い知る。母を見舞い、リハビリに付き添い、バスと電車で通う日々。夫の後を追って死んでも良いとさえ思っていた私を、母は全力で守ってくれたに違いない。私の余り有る時間を、ろくでもないことを考えないように。日々私に仕事を与えたのだ―。
(元気出さないと)
そう思い始めた矢先。容態が急変した。
桜色のスカーフはポタポタと零れ落ちる涙に一段と色濃く染まりながら、みるみる広がっていく。