母へ 50代 埼玉県 第12回 入賞

母親に戻った母
小寺 敦志 様 55歳

 お母さん、ごめんね。認知症にもっと早くに気づいてあげられなくてごめん。結婚して同居していなかったからと言っても、月一回は顔を出していたんだから、何で気づかなかったんだろう。同じ話を繰り返すのは昔からだったとか、物忘れするのは年齢だよ、気にしなくていいんじゃない? などと言って、目を背けていたのかもしれない。

たまたま僕が実家を訪れた時に、お母さんが持病の喘息の発作が起きそうと不安そうに言い、近くの病院に連れて行ったよね。その時に医師に呼ばれて「ここ一ヶ月近く毎日、しかも日に数回来る日もある。しかも発作の症状もないし、来た事も忘れている」と。それを聞いた時、僕は愕然としたよ。

それから直ぐに専門医に診て貰い、認知症検査を受けたんだけど、既に中期と診断されてしまった。それからは月に一度の通院。当時は進行を遅らせる薬しか無くて、それも効果があるのか分からなかった。随分、辛い思いをさせたね。

お母さんは覚えているかな。進行がかなり進んでしまった頃。病院の待合室で順番を待っている間、もっと早く認知症の症状に気づけなかった事を悔やみ、「ごめん」と思わず涙が出てしまった。その時、お母さんはそれまでの魂の抜けた表情から、暖かい眼差しに変わり「どうしたんだい? 悲しい事があるなら、お母さんに話してごらん。子供の辛い顔は見たくないよ」と言ったんだよ。僕はその言葉を聞いて咽び泣いた。認知症が進み、僕の顔すら分からない事もある状態なのに……。子供の涙を見て、優しく暖かい母親に戻ったんだね。

いつも子供達の事を最優先に考えてくれたお母さん。お財布の中に子供の写真を入れて「どんなにツラい時でも写真をみると頑張れる」と言っていた。今、僕は自分の子供達に対して、母と同じように愛情を向けているだろうか? 仕事が忙しいからと言い訳して、子供達の涙を見過ごしていないだろうか?

お母さんが亡くなって十年になるけど、今でもあの時のお母さんの声が聞こえる。

お母さん、ありがとう。

 

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