お母さんは、働き者で、控え目で真面目な人でした。母になってからも料理を習ったり、俳句を作ったり、向上心のある人でした。私にも習字やそろばん、ピアノを習わせ、勉強も教えてくれました。悪いことをすると、家中追いかけてきて、しっかり叱ってくれました。それでいて、とても面白い人で、私が学校から帰ってくると、わざとこたつの中に隠れて、私を驚かせて楽しんでいました。
私が六年生の夏、朝起きると病院にいるはずの母が奥の部屋で寝ていました。私は、またお母さんが私をだまそうとふざけているのかと思いました。目を開かない母の額に自分の手を置いたときのあの氷のような冷たさとその驚きを今でもよく覚えています。人が死ぬということは、こういうことなんだと十二歳の私は知ることになりました。まだ四十三歳のお母さんは、私を置いて旅立つことがどんなに辛かったことでしょうね。
それから私は、母がいないことでかわいそうな子だと思われないように、いつも泣かずに「私は大丈夫」と気丈にふるまうようになりました。悲しいときには、飼い犬のところに行ってこっそり泣いていたんです。
自分でお弁当を作って高校に通うことも、そんなに辛いとは思わなかったけど、自分が母になってからは、お母さんが生きていてくれたらなと思うことばかりでした。私の子どもを抱かせてあげたかった。娘の成人式の晴れ姿を見せてあげたかった。母になって、お母さんの偉大さを感じます。
たった十二年しか一緒に過ごせなかったけど、お母さんは、私に大切なことを教えてくれました。懸命に働くこと、人を大切にすること、諦めないこと。私は、お母さんの四十三歳を越してしまったけど、まだ、お母さんのようにはなれていません。私の目標は母のような人になること、お母さんに近づけるようにこれからも一生懸命生きていきます。これからもずっと私を見守っていてね、お母さん。