母へ 60代 宮崎県 第10回 入賞

母の匂い
村﨑 和子 様 67歳

 晩年、大腸癌を患い必死に病と戦い83歳の生涯を終えた母。大きな褥瘡を形成し、大腸の患部からは浸出液が流出していたが、痛いと言わなかった。意識も最後まではっきりして、死際に付き添った人達に「いろいろとお世話になり有りがとう」とお礼の言葉を残して逝ったと後で聞いた。遠方に居住していた私は、死に目に会えず看病できなかった後悔で、命絶えた母に抱きついて思い切り泣いた。そして、一晩母の匂いを胸に添い寝した。その時の思いは今も鮮明に覚えている。

長い間どんなことにも耐えて来た母。姑に冷遇されても恨まず、ひたすら献身に徹した母は愚痴を言わない。ましてや人の悪口等聞いたこともなかった。いつも誰にも笑顔を絶やさず手柄話もしない微笑みに触れると、自分の苦労話など語れなかった。しかし母は私の心境を察していたのか「何時でも帰ってこい。遠慮はせんでよか」と優しく声をかけてくれた。その一言に励まされ頑張ってこれた気がする。車が見えなくなるまで手を振って見送った姿が今でも目に焼き付いている。

家庭的にも経済的にも恵まれなかった母は、胸中を外に出さず周囲の人を気遣い暮していたと思う。姑が最期を迎えた時言った「今まですまなかった。ありがとう」の言葉に救われ精一杯の看病が出来たと話していた。お互いに許すことで真に安らげたのだろう。苦しみは一人で背負い人には優しく接した母を誇りに思う。

若い頃は母の気持ちを思い知ることは出来なかったが、年齢を重ねた今その誠実な姿が偲ばれ、真摯な思いに胸を打たれ母の匂いが愛しく感じる。母の生きざまが今になってこたえ、惜しみなく注いでくれた愛情は心にしっかり刻み込まれている。私も母に似た生き方を少しでも学び、娘達も凛とした母の生きざまを見習ってほしいと願っている。

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