母へ 60代 茨城県 第9回 入賞 広告掲載

母 キヨちゃんへ
福本 美千代 様 65歳

 「どれ、やってみるか」と、やめればいいのにブリッジをして、頭と背中を板の間にドーン。私が中学の頃だから五十代かな。

何事にも、行動的で着物にモンペスタイルで自転車を颯爽と乗り回す。昔の人にしては、身長も高かったと思う。やせてはいたけど、手が大きい。その大きなスジがいっぱい入った手で、高校の時お弁当に、大きな大きな焼きおにぎりを作ってくれた。直径十センチ強はあったと思う。最初は、恥ずかしくって隠しながら食べたよ。でも友達には好評で良くとりかえっこして食べた。「小さくね」と言っても、いっつも大きかった。それに、又、ごっつい大きな手なのに、盆踊りの時はしなやかで上手だった。とっても自慢の母だった。

私は中学から六十才までバレーボールに携わって来られた。丈夫な体と身長を母に、貰ったのかも、キヨちゃんありがとう。高校の時部活の帰りにバス停まで迎えに来てくれたよね。綿入伴天の中に蒸かし芋が入ってた、ずいぶんと待っていてくれたのだろう、少し冷えたのを二人で食べながら夜道を急いだ。あの時はありがとう、とってもおいしかったよ。

私は十九才の時一ヶ月半入院をした。母は一リットルのコーラの瓶にシジミの汁を入れ、新聞紙に実をくるんで持って来てくれたね。病室のベッドの上に広げて食べた。電車とバスを乗り継いで来てくれたんだよね、風呂敷を肩に背負って、大変だったよね、四時間位かかったと思う。帰りに屋上から見てたら財布を開けて中を覗いてた。お金が大変だったのだろう。その時は本当に申し訳なくて涙が出た。あとで母に言ったら「そうがあ、見てたのがあ」と笑ってた。母は孫達を含め小学校の卒業旅行で六回も日光に行ったととても自慢してたっけ。どこにもつれて行ってやれずゴメンネ。

今、私は主人、子供達、孫に恵まれとても幸せです。キヨちゃんありがとう。心をこめて母に送ります。

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