あなたが逝った後、息子夫婦が同居しようって言ってきて、ちょっと考えたけど、どうせ一度の人生だからと思い切って、あの子らの家に転がり込む事にしたの。
ところが私の部屋四畳半でね、どう考えても一緒に暮らした40年間の思いでを縮小して生活するなんてできる訳がないって思ったの。
そしたら、ふいに「な~んも心配せんでえぇ~、おまえなら適当に生きて行けるぅ~」って、あなたの声が耳の中に響いてきたの。
でもね「適当」に生きてこれたのはあなたが傍で「適当」に笑ってくれてたからなのよ。おかしいわよね、私達いつの頃からか日常生活で「適当」が合言葉になってた。
「晩ご飯何にする?休みどうする?」私のどんな問いかけにも、あなたは振り向きもせず「適当にして」と「適当」に返事してた。
入院生活が長引くに連れ、元気印の「適当」も回数が減ってきて、随分と私の話しに耳を傾けてくれる様になったけど、まさか葬式を「適当にやってくれ」って言ったのには呆(あき)れたわよ。
そんな気持ちを察してか「死んだら終りや、おまえや子ども達が気の済むよう納得のいくようにしてくれたらいい」って、初めて「適当」の心のうちを明かしてくれた。
あなたと暮らして来て沢山の「適当」を聞いてきたけど、その何もかもは私の事を気づかっての事だったのよね。
「適当」って言われると、わたし不思議と頑張れた。美味しいもの作ろ!喜んでもらお!ってね、振り返ってみたら、私あなたの「適当」に助けられたり元気もらったりして育ててもらってたのね。
今さらもう遅いけど、「あなた私の事を適当に愛してくれてありがとう、そして私は本気で愛してました」