あなたが亡くなって六年が経ち、私は今年還暦を迎えました。遺影の中のあなたは五十歳のままなのに。そして、今年もまたひとりぼっちのまま、師走を迎えようとしています。子どもの頃からお正月が近づくと心が曇ったものでした。家族団欒というものに縁がなかったからです。物心ついた時から父と母はひと言も口をきかない夫婦だったから、あたたかい家庭などというものが本当にあるのか疑っているような子ど
もでした。テレビで帰省ラッシュのニュースが流れて、両親に会いに故郷へ帰る人や可愛い孫がやってくるのを心待ちにしている人などの笑顔を見たり、家族揃って楽しくお節料理を囲む光景をコマーシャルやドラマで目にする度、別世界だと感じていました。
それが一変したのは二十九歳であなたと結婚して初めて迎えた正月のことです。ともに無事に年を越し新年を喜び合える連れ合いを得たことの幸せ。年末の買い出しや大掃除さえもふたり一緒なら楽しかったです。
とりわけあなたは何気ない小さなことにも喜びを感じられる人だったから、このままふたりで歳を取って、寄り添って生きる老後を迎えると信じていました。
それが六年前、あなたは癌で七ヵ月の闘病の末、わずか五十歳で逝ってしまった。あと三ヵ月で銀婚式だったというのに。
私のお正月はまたもや一変しました。しんとした家の中でひとりで迎える元旦の朝の空気は、いつもより重苦しい。届いた年賀状が笑顔いっぱいの家族写真のものだったりすれば、寂しい気持ちに拍車がかかる。
五十歳の若さで苦しい闘病の果てに亡くなってしまったあなたの無念を思うと、私は一層辛くなりますが、たったひとつ良かったと思うことがあります。それは連れ合いに先立たれる孤独を背負うのがあなたでなくて私だったということです。朝目が覚めて、あなたが寝ていた左側に視線を向けても、そこにいるはずの人がいない。たったこれだけのことに慣れるのに、私は三年かかりました。こんな寂しさをあなたに背負わすことなど私には耐えられません。
この喪失感は一生消えることはないでしょう。そして間もなく新しい年がやってきます。ひとりで年越し蕎麦を食べ、ひとりで紅白を見たそのあとに。あなたを失った悲しみとともに、あなたと出会えた幸せに支えられながら、私はきっと来年も生きていきます。あなたと天国で再会するその日まで。