天国のじいちゃん、ばあちゃんお元気ですか。じいちゃんは五十年前、ばあちゃんは三十六年前亡くなってずいぶん月日がたちました。十歳の頃聞かされた私自身の生い立ちは非常にショックなものでした。
生まれて間もない実子を、じいちゃんばあちゃんの住居そばの畑小屋に置き去りにして立ち去った親への憎しみは増すも、その一方で、当時共に六十歳前後だったじいちゃんばあちゃんが我が子同様愛情を注ぎ、育ててくれた事に感謝しています。もしばあちゃんがあの時いつもの時間より早くらっきょう畑に行ってなければ、私は息絶えていたんですね。後日ばあちゃんが「何かの知らせであの日いつもより早くらっきょうの育ち具合を見に行ったら畑小屋から、か細い人間か猫かわからない泣き声がしたので小屋を開けたらあんたがおったんよ」と話してくれましたね。奇跡とも言える状態で一命をとり止める事ができ、私は、じいちゃんばあちゃんによって育ててもらいました。生意気な事も言いました。生意気な事もやりました。思春期には、ばあちゃんに何度も反発しました。
じいちゃんとばあちゃんが亡くなってから命を救い育てる事の大変さがよくわかりました。どんなに強がっても人は一人で生きていけません。そこに愛情を注いでくれ、一人前になる指導教育を受けていなければ、今の私は存在しません。
じいちゃんばあちゃんが、私を拾い、育てはじめた年齢に、私自身もさしかかりました。先日、初孫が生まれ抱かせてもらいました。元気な泣き声は、天国からじいちゃんばあちゃんに叱咤されているような気がして、まだまだ家族のために愛情を捧げなければならないと反省しています。
じいちゃんばあちゃん、お世話になっている時には恥ずかしくて言えなかったけれど、育ててくれてありがとう。今、幸せな人生を送れているのも二人のおかげです。