13年前、僕の娘が生まれた年に、おばあちゃんは亡くなった。
僕が大好きだからと、買い物帰りの大荷物を抱えて、わざわざ遠回りをして買ってきてくれたエチオピア屋のみたらし団子。今もみたらし団子を見ると、おばあちゃんを思い出すよ。
子供の頃一番つらかったのは、両親が喧嘩をすることだった。どうすればいいかわからなくて、自分の無力が、ただ痛くて苦しかった。
そんな時、「子供のことを考えろ」と、おばあちゃんはいつも僕のことを一番に思ってくれたね。「そんなんだら、りゅういぢはおれが育てる」と言って、しっかり抱きしめてくれていた。
ひらがなを覚えた時も、カタカナを覚えた時も「えらいねぇ。よくがんばって。りゅういぢは頭がええねぇ」といつもいつも、何度も繰り返し褒めてくれた。
絵を描けば、どんな絵だって「うめーねぇー。おれにくれるか」と、大事にしてくれた。
父の転勤で遠くなってしまってからも、年に何度も遊びに来てくれて、そのたびに「りゅういぢがいちばん可愛い孫だから来るんだ」と言ってくれた。
おばあちゃんに、大切に思ってもらえていることが、その「実感」がずっと僕の力だった。思い出すと「してくれた」ことばかりだよ。僕がおばあちゃんにしてあげたことなんて何もなかった。
おばあちゃんのお葬式に集まった従兄弟たちと、通夜の晩を飲み明かした。僕は、就職してからの何年分もの失敗話や自慢話を、間断なく訴えるように話し続けた。
普段口数の少ない僕の話を、従兄弟たちは頷きながら聞いてくれた。だからきっと、おばあちゃんにも聞こえたよね。
僕は今、妻と3人の子供たちと、両親と一緒に暮らしている。おばあちゃんが僕にしてくれたように、思いを伝えることは出来ないけれど、家族を大切に思う気持ちは、ちゃんと覚えているからね。