バッチャンが逝ってから十年経ちました。忙しい両親に代わって私の面倒を見てくれてとても感謝しています。
生きているときはどうしてでしょうね、お礼を伝えられなかったんです。
私が友達と仲違いしたときは一緒に悩んでくれたし、先生に叱(しか)られたときは「おめがどっただに叱られでもバッチャンはおめの味方だ」と言ってくれました。
大きい声で美空ひばりを歌い、弁当を持って山菜採りにも行ったね。 運動会で一番大きな声でビリッケツの私を応援してくれたバッチャン。生徒よりも目立ってました。
死にたいと泣いたとき、バッチャンは私を、小さい頃のようにぎゅうっと抱きしめて、左右にゆっくり揺すりながらあやしてくれました。そのとき気づいたんだ。バッチャンはいつの間にか私より小さくなってたって。それでもその懐(ふところ)はふっくらと温かいままでした。
「辛ぇなあ、へづねぇなあ。バッチャンなんもしてやれね。んだどもおめば一人こで泣がせね。おらも一緒に泣ぐ」
バッチャンは私以上にポロポロ涙を流したよね。
バッチャンが作るおかずは根曲がり竹の酢味噌和えとか、フキの炒(いた)め物なんかばっかりで、私は内心不満だったけど、今になってあの味が懐かしいです。作り方を聞いておけばよかった。もうバッチャンの味は一生食べられないんだね。どんなに高いレストランへ行っても、世界の果てまで行ってもそこにバッチャンの料理はないんです。私が好きだったのはソフトボールほどもある真っ黒いおにぎり。あんずのシソ漬けが梅干替わりに入っていたやつ。ああ、そのあんずのシソ漬けの作り方も知らないままです。
一緒に泣いて、一緒に笑ってくれたバッチャン。私ね今歩き出したよ。
ようやくやりたいことと、これからの見通しが立ってきました。長く心配かけたね。そりゃ順調じゃないけど、辛いときはバッチャンの笑顔と言葉を思い出してケッパってます。
「人生は色々あるすけ面白ぇんで」
まだまだこれからも傍にいて、一緒に泣いて、一緒に笑ってね。