どれ程時が経とうとばあちゃんの皺(しわ)だらけの手の温もりは忘れないよ。ちよばあちゃん本当にありがとう。
昭和三十年代、若かった僕の両親は七才の僕を祖母に預け、東北の小さな山あいの村から東京を夢見て出て行きました。残された寂しさは全てばあちゃんの優しさと温かさが僕の心を満たしてくれました。
ばあちゃん、おかずはいつも裏庭の野菜だったね。二人で山菜採りに行って見つけたあけびの甘さに大喜びしたね。たまのご馳走(ちそう)は仕送りの届いた日の一匹の魚と僕の大好物の魚肉ソーセージだったね。何も無くても僕にとっては、ばあちゃんが側に居てくれるだけで幸せだったよ。でも、突然小学校四年の時に迎えに来た母に連れられ東京へ行く事になった時、僕はばあちゃんにすがりついて泣いたよね。最後の夜枕を並べて寝る僕の手を握ってばあちゃんはこう言ったんだ。
「負けるなよう。どんだけ辛かろうが、ばあちゃんが遠くから見守ってるからなあ」と。その時の皺だらけのばあちゃんの手の温もりは今も覚えているよ。その後、ちよばあちゃんが八十三才で亡くなるまで僕は自分が生きるのが精一杯で何ひとつ孝行もできなかったよ。本当に本当にごめんなさい。あんなに優しく大切に育ててくれたのに。
ちよばあちゃん、僕は今年六十才になってしまったよ。ここまで来るのに何度も失敗して生きるのを諦めようと思った事もあったけど、優しい人と巡り会って三人の息子にも恵まれ孫を抱く事もできたよ。辛い時は何時もばあちゃんの「負けるなよう」の言葉とあの温かい皺だらけの手の温もりを思い出して頑張ったよ。
天国のちよばあちゃんへ「僕は負けなかったよ。そしていつも僕を見守ってくれて本当にありがとう」