田代先生、九月の祭日に、同窓会をやりました。
みんな、年をとってしまい、ジジ、ババ同窓会だと言って笑い合いました。男6人と女2人、合計8人が集まりました。
昭和14年生まれの私たちが小学6年生になった頃は、日本は本当に貧しい国でした。
お米の弁当を持ってこられずに、代用食として、さつまいもを持ってきた生徒が何人かいましたね、私もその中の一人でした。他の生徒に見られるのが恥ずかしくて、新聞紙でかべをつくり、かくして食べていたことを思い出します。
当時、先生は学校の近くに下宿されており、休みの日にはよく、私たちを下宿によんでくれました。
昼時になると、コロッケを買ってきて食べさせてくれました。
アツアツのコロッケにソースをかけて、コッペパンをおなかいっぱい食べることが、どんなにうれしいことであったか、無精ひげを生やした先生の顔と、コロッケの味、生涯忘れることのできない、思い出です。
あれから、徐々に日本が豊かになり、お米のご飯が、いつでも食べられるようになりました。同窓会では、すき焼きを皆で食べました。
「今食べている、すき焼きより、あの時に食べたコロッケのほうが、ずっとうまかった」と、広瀬君もいっていました。(先生、広瀬君の頭はツル禿ですよ) 「戦争はしてはならない、友達とは仲良くしなさい」先生の口癖でしたね。
(いじめ)なんていう言葉は、我々の時代には存在していませんでした。貧しくても友達を思いやる気持ちは、皆がもっていたような気がします。
もちろん喧嘩はありました。それも先生の痛いゲンコツ一発で終わり、次の日には、けろっとして一緒に遊んでいました。豊かさの代償として、何かを今の日本人は忘れてきたような気がします。
中学生になった孫に、昔の話をしてあげようと思っています。
この世には、豊かさよりも、もっと大切なことがあるということを。
熱血先生、本当に有難うございました。