昭和三九年、東京オリンピック。聖火ランナーに任命されて、前日まで朝と夕方、ひたすら砂浜を走った俺達。紫と朱色が鮮やかな朝焼け、夕日に染まった渚…… 今も目に浮かぶことがある。
晴れの日、待機場所で君は中継所付近に陣取った群衆を顎でしゃくって笑った。
「見ろよ、オヤジのあの何食わぬ顔。本当は熱狂したいのにヨ。『原爆投下一時間半後に広島
で生まれた人の顔を思い浮かべて心して走れ』と気合いを入れられたよ」
君の父は広島で被爆、頑丈なビルの中にいたお蔭で外見に大きな傷を負うこともなく故郷に帰って来た。ところが、髪が抜け始め、ついには頭に一本の毛もなくなり、その人並み外れて大きな顔は東映時代劇が全盛期であった頃の悪役俳優を彷彿とさせた。
君の家で『ゴジラ』のビデオを観ていた高校生時代、振り向くと背後で君のオヤジがくいいるように画面を覗き込んでいて、皇居を目にした途端、凶暴さを捨てて反転するゴジラに「野郎は兵隊が仰山眠る南海に帰って行くんだ」とつぶやいた。
平和は素敵だと思う。戦火の拡大で一九四〇年、五輪の開催権を返上した日本……毎年夏になると、広島の原爆病院に向かった君のオヤジ……平和だからこそ再来した二〇二〇年東京五輪。
「また日本にオリンピックが来たら、一緒に走ろうゼ」――約束を交わしたのに勝手に先に逝きやがって。
でもよ、あの日に君のオヤジが撮ってくれた晴れ姿の写真を胸に抱き、俺は聖火に付き添うように沿道を一メートルでもいいから走るつもりだヨ。