父さんが亡くなる時、「こわいよー、こわいよー」と泣いて側に行くのを嫌がった事だけは、よく覚えています。私が6才4ヶ月、弟が1才7ヶ月の時に亡くなりました。腎臓が悪く入退院を繰り返し、仕事も十分できません。今なら透析があるので、助かっただろうと言われますが、当時は医学も発達していなかったので、37才という若さでこの世を去りました。家に飾ってある遺影は、いつまでも若い父さんの姿を見ることができます。何か特別にしてもらった事もなく、少ない思い出の中に、自転車に乗って年中叔母の家へ連れて行ってもらった事だけは覚えています。
私と弟は父親というのを知らずに育ちました。父親がいない分、母さんが一人で父親になり、母親になり頑張りました。若い母に再婚の話があっても、私が「嫌だ。お父ちゃんは天国にいるお父ちゃんだけでいい」と言って反対したと言います。あれから五十年もたとうというのに、母さんの枕元には常に父さんの綴った便箋が置かれています。先日、こっそり中を見てみました。「よしえ泣くな」「ひろしりっぱな人になれ」「しげ子には何もしてやれなかった」「みんななかよくね」「みんなお世話になりました。ありがとう」自分の左手が二つ写してあり、「よしえへ」「ひろしへ」とありました。目は見えない。耳も聞こえないと記してありますから、必死で綴ったのだと思います。そんな古い便箋が今でも、母さんにとっては、大切な宝物なのです。
私は父さんの年をとっくに越え、孫もできました。あまり昔の事を思い出す事もないのですが、母さんが苦労して建てたお墓にお参りに行くと、なんとなく父さんがそこにいる様な気がします。「母さんを守ってください」「私たち家族を見守ってください」と、ついついお願いしています。父さんの分まで、母さんに親孝行をします。どうぞいつまでも、天国からニコニコ笑って見ていてください。