父さん、あん時、ごめんね。十八年間も、寝たきりだったのに、数えるだけしか、傍にいる事出来ず……苦労をするぞ!と反対してくれたのに、家出同然で、農家の嫁となり、父さんが言った通り、末っ子の甘えん坊、おまけに病弱な私を、夫すら助けてくれない家だった……親の意見と茄子の花は、天にひとつの徒も無い……収穫する度、その言葉が軽率な娘を悔いたのです。
嫁いで五年目に突然倒れ、全身不随となり、儘ならぬ身となっても、父さん一度も愚痴もせず、誰も責めもせず、終には、枯枝の様に眠ってしまった。あん時逝かないでと、親不孝を詫びるより、御苦労様と労わねばなりませんでしたね。野良着のまま家人の白い目を盗んで病院へかけつけると、私に話しかけてくれたっけ……「人生はなぁ、一度しか無かぁ。誰にも失敗はある。気づいた時点で、やり直して生き直す方法もある。笑って暮らせよ」。何も言えず、動かない手の上に、涙をこぼしたっけ……。「私が死んでも、ゆめゆめ、声を上げて泣いてはならぬ。知らぬ他人まで悲しむ故。人は死ぬ為に生まれて来るというから、死ぬる事は少しも恐れてはおらん。全うしたと誉めてくれ。じゃが、あの世ちゅう所は、どんな所だろう……私もまだ行った事もないし、誰からも土産ばなしも聞いとらんし……ははは……人はいつ死んでも善しとせねば、ならぬ。次に生まれて来たい人が順番を待っとるからな——」と話してもくれた……。
父さんとより、婚家の暮しが、うんと長くなった今頃、言うのもおかしいのだけれど、年とってから産まれた私故、十一才まで、父さんのチチこたつでねむったね。あん時、暖かさをありがとうって言ってなかったね。
私……五十才を過ぎて、白血病だと告知れたよ。あなたが教えてくれたとおり、今の私、恐れる事は無いの。世の常に抗う事なく、父さんを訪ねて行くよ! そん時、父さん、大好きな山道の先達してね。