父は存命なら、今年九十三才である。父は今から六十七年前、二十六才の時に病で亡くなった。私が生まれて六十日目の事だった。母は父の死後、実家へ帰ったと聞いた。私には父母への思いはあるが、思い出は無い。父が生前勤めていたM銀行に私も勤めた。祖父母が大いに喜んでくれたのを思い出す。今から四年程前、私は定年を迎えた。身の廻りのものを整理しようと本棚から取りかかった。表紙の無くなった、スリ切れた父の日記が出てきた。銀行へ就職が決まり、「勤務地へ赴任する日の両親との別れ、思い」、「やはり大学へ行きたかったとの思い」……等、心情が吐露されている。すごい達筆で、文章力も素晴らしい。また、母と見合いをし、そして結婚。その喜びに溢れた頁を嬉しく、微笑ましく読んだ。「おやじ! 良かったな!」と言ってあげたくなった。昭和十八年九月のある日、
「妻 みごもるという。
あめつちの めぐみをかんず。
わが子 みごもるという。
神々しきぞ」
とある。私の事だ……父はこんなにも私の誕生を喜んでくれたのだ。涙が溢れた。父の息吹きを感じ、仏壇にお線香をあげ、「父さん ありがとうね!」と呟いた。この日から十ヵ月後、父は逝った。私を抱く事はあったのだろうか……。
私は、父と同じく見合い結婚し、最高の伴侶を得た。二人の息子を生んでくれた。人の子の親となり、父の心情を思う。「父さん、辛かったね。もっともっと生きたかったね」としか言ってあげられない。父の三倍近くも生き、素晴らしい伴侶と子供達に恵まれ、幸せに今あるのは、父さんあったればこそです。
ただただ、「ありがとう」と父の仏壇に声をかけている。これを書いた日は、六十七回目の父さんの命日です。やすらかに——。