お義父(とう)さん、あなたが平成四年八十歳で亡くなってから日本も変りました。今は、天国で原隊の戦友達とフィリピンでの苦労話をしていますか。
あなたは、明治四十五年三月生れの最後の明治人でしたね。昭和十三年自動車免許を取得し、昭和十九年三十二歳で、妻と二児を横浜に残し、陸軍自動車兵として、バシー海峡では、米軍の潜水艦や魚雷におびえ、フィリピンでは九死に一生を得て帰って来ましたね。
親類の法事の時、あなたは、いつも「神も仏もあるものか」と呟きながら線香をあげてましたね。
これは単なる私の推測ですが、過酷なフィリピンの山中の戦場で、あなたの戦友たちが、飢えと敵の攻撃で死んでいった地獄絵を思い出し、善良な市民だった家族を愛し、ささやかな幸福な市民生活を送っていた戦友達が、なぜ無残に死んでいかなければならなかったのか。そんなことを思う時、あなたは、きっと神や仏の存在を信じなかったと思います。
そんなあなたの背中を見つめる時、戦争が終っても、あなたは重い黒い十字架を背負い、八十歳の生涯を閉じたと思います。
そして、私たち子や孫は、その犠牲の上に平和をいただいたと思います。
お義父(とう)さん、平和をありがとう。
あなたが七十歳になり、横浜市から「老人用バス無料券」を交付され、それを持ってバスに乗る時、「タダでは申し訳ない」と言って、バスの運転手さんにタバコ一箱をあげ、「そんな心配いらないよ」と、運転手さんにたしなめられた話。
こんな話に、明治人の律儀さを感じ、私は、益々あなたを尊敬するようになりました。
最上川の舟下りをした時、新緑の風景を眺めながら、「平和っていいなあ」と言ったあなたを忘れません。