お父さんは愛でできている。小さい頃から、そう思いよったよ。
私が小学校の頃、尿検査でおしっこを入れるしょうゆ入れみたいなのの赤いふたが無いって大騒ぎしたことがあったやん。私がわあわあ泣きよったら、お父さん、「淳子ちゃん、泣かんでよか」ってどっかからコルクを持ってきて、削り削り入れ物に合わせてふたを作ってくれたもんね。なんか妙な形やったけど、おしっこがこぼれんようなちゃんとしたふたやった。次の日一人だけコルクのふたで検尿を出したけど、恥ずかしいやら自慢やら。優しかったあ。お父さんは。
中学の技術の課題、防犯ブザー覚えとう? 不器用な私は作れるはずもなく、結局お父さんが徹夜で作ってくれたね。寝ぼけた私は、ブーブー音が鳴る度に、「うるさい!」って文句言いよったらしいね。朝になって防犯ブザーが出来上がっとうのを見て、ごめんなさいって気持ちでいっぱいやったとよ。でも、今思えば、お父さんもあんまり器用な方じゃなかったね。評価2やった。
私が離婚を決めたときも、何も言わず何事もなかったように、全て受け入れてくれたね。親不孝な娘やんね、私。父親のいない子を産む決心をした時もそう。穏やかに、いつもと同じ笑顔で私たちを守ってくれた。それなのに、お父さんの優しさが辛くて、ちゃんとありがとうって言えんかった。
だから、お父さんの認知症が進んで、夜中にトイレに連れて行ったりお尻を拭いてあげたりするようになった時、涙が出るほど嬉しかっとよ。お父さんは何度も「ごめん」って言いよったけど、私は喜びで胸が震えるほどやった。やっと恩返しができるっちゃもん。でも、ほんの短い期間の介護生活の後、病院のベッドで眠り続けて、そして逝ってしまったね。私になんちゃって介護の思い出を残して。私の罪悪感を少しでも軽くしようと思ったっちゃろ? お父さん。
どこまでも優しいお父さん。お父さんは大きな愛の人。私もお父さんみたいな愛の人になるけんね。だって、お父さんの愛から生まれて愛で育った娘やもん。