お父さん。今日、何気なく押入れの奥の手箱を開けて、お父さんからの手紙を見つけました。私が二十歳、東京で寮暮らしをしていた時のものです。
「今、十月八日午後十時四十五分。お母さんは風呂に入っている。かく言う父は、寝床に寝そべってこれを書いている。静かな晩だ。物音ひとつしない。ではない。風呂場の方で戸を開ける音がかすかにゴロゴロ……もはやカラスの行水のお母さんが出てくるのだろう。ああもう出てきた」
手紙はこんなふうに始まっています。七枚の便箋にびっしりと書かれた手紙は、三晩にわたって書かれたものでした。子供たちを東京に送り出した後の、お母さんとの暮らしのあれこれを、淡々と綴(つづ)ってありました。
「今日はお祭りだった。雲間からの月が美しく、つい誘われてお母さんと何年ぶりかでお参りに行った。 行き交う人達も、まあ珍しい、と、二人だけのお参りを冷やかした」
読みながら、私は動けなくなりました。すぐそばにお父さんがいる、と思いました。
「仕送りは決して足りているとは思わない。最低の方だと思うが、これは親の不出来で仕方がない。物質的には何もしてやれないが、勉強を自由にやらせることについては人後に落ちない。 親はやがて、枯れ木のように朽ちていくだろうが、若い芽は思うさま、伸びるが良い」
読みながら、涙が止まらなくなってしまいました。当たり前のように両親がいて、私を守ってくれたあの日々。 精一杯のことをしてくれたのに、私は足りないと思ったりした。
この手紙を受け取った時、私の心のどこにも、お父さんはいなかったように思います。親不孝な二十歳の娘の心は、恋や、友達や、学校や、アルバイトのことでいっぱいでしたから。
お父さん、ごめんなさい。 古い手紙の懐かしい筆跡は、黄ばんで、もう読みにくいのです。