お父ちゃんが死んで四十七年、いつしかお父ちゃんより十二歳も大きゅうなってしもうたわ。
お父ちゃんもあの頃は元気やったな。
お父ちゃんは「勉強せえ」とは一遍も言わんかったけど、田たんぼ圃を手伝わんかったらよく怒っとったな。こんなん覚えとるかな。
中学一年生の春やったわ。お父ちゃんと田越こししとって、僕が備中鍬を自分の足の上に落としてえらいことになってもた時のことや。
その時のお父ちゃんいうたら、今でも忘れへんけど、血まみれになって骨が見えとる右足小指の付け根を見ると、顔をしかめて「そのぐらい軍隊ではなんぼでもある。我慢せんかい。でもお前は泣かんだけ偉い」と言いよったな。
病院もない田舎やったから蓬よもぎを搾って血を止めて、痛うてしゃあなかったけど、お父ちゃんに誉められたんは、とても嬉しうて今でも僕の宝物やと思うとるからな。
まあそう言うても、お父ちゃんは酒ばっかり飲んでもう忘れとるやろけどな。
お父ちゃん僕な、あの後五年たって、大阪に働きに出たんや。なんで大阪か言うたらお父ちゃんと一緒に行った最初で最後の旅行が大阪の万国博覧会やったやろ、それで大阪が好きになって、就職するんやったら大阪やと決めとったんや。それから四十二年間働いてな。今月の三月に無事定年退職したんやで。
ほんま辛いことや嫌なことも沢山あったけど面白かったわ。
色々な仕事覚えて、ようけの人の世話になって、全部で十の職場を回らせてもろたんやで。それでな、なんとか世間様や人様には迷惑をかけんで卒業することができたわ。
それもこれもお父ちゃんとお母ちゃんが健康に生んで、育ててくれたからやと思てるんや。ほんまにありがとうな。
それとなお父ちゃん。お母ちゃんはお父ちゃんが死んでからそれはよう働きよったで。製材所では七十歳まで働いて、兄ちゃんと姉ちゃんと僕の三人の子どもまで育ててな。
お母ちゃんな、いつも寝る前に仏壇の前で手え合わせて、「今日も一日ありがとうございました」言うて、それから布団に入ると、「極楽・極楽」と独り言を言うて、三秒後には大きな寝息を立てとったわ。ほやから元気で九十二歳まで生きたんやで。
孫も六人できてな。天国行ったんは五年前やけど、余りにも齢とってもたから、そっちの世界でお父ちゃんと仲ようしとるか心配しとんや。お父ちゃん酒ばっかり飲んどらんと、たまにはお母ちゃんの話もしっかり聞いたってや。
お父ちゃん今な、お父ちゃんとお母ちゃんが残してくれた畑をやってるんや。今年で十年目や。お父ちゃんが言うとった「土は正直もんや」、お母ちゃんが言うとった「手をかけた分だけ返ってくる」の意味が少しずつ分かってきた気がするわ。でもまだまだや、いつまでたってもお父ちゃんとお母ちゃんにはかなわへんわ。でも僕な、幾つになっても二人の子どもでよかったと思てるからな。