父へ 80代 東京都 第15回 佳作

いつも一緒
森本 謙四郎 様 88歳

百歳五か月のお父さんとお別れして、もう二十三年もの年月が過ぎましたね。

でも、今だにぼくとお父さんとはいつも一緒に過ごしているように思えるのです。それは六十五年間お父さんの心と身体のぬくもりをいつも覚えながらくらしてきたからです。

殊に最後の一年はほんとうにそうでした。歩けなくなったお父さんは、周りに囲いのついたベッドに寝かされるとすごく怒り出しましたね。枕を投げたり、囲いに手をかけて、ガタガタ揺らしたりまるで駄駄っ子のようでした。それで、ぼくは、はっと子どもの頃の体験を思い出して、早速囲いを外し、ぼくのベッドとお父さんのベッドをくっつけて、二つの広いベッドで一緒に寝ることにしましたね。するとお父さんはすごく喜んで二つのベッドをごろごろとあっちへ行ったりこっちへ来たりとすっかりご機嫌を取り戻しました。

あのときのことは今も忘れられません。それは幼児の頃いつもお父さんと背中合わせに寝ながら、お父さんの身体のぬくもりでやすらぎを感じていた懐かしい思い出が浮かんできたからです。

いつも一緒、この気持が今でも蘇ってくるのは、国民学校二年生のとき、騎馬戦をしていて、足の骨を折ったとき。お父さんは、ぼくを背中に負ぶって、接骨病院まで電車で通ってくださいました。あのときのお父さんの、重たいぼくを背負って夜の道を必死で歩いておられた姿は、今も心の中に浮かんできます。

また、四年生のとき、戦争で四国の親戚の家に一人で縁故疎開をした一年間、お父さんは汽車の切符が入手しにくい中でも、月に一度は必ず大阪から会いに来て下さいました。一人ぼっちの寂しさを初めて体験したぼくにとって、あのときのお父さんは心の救いでした。

しかし何と言っても最後の一年は本当に貴重な年になりました。介護の方法を全く知らなかったぼくが、お父さんのおむつを替えたり、清拭をしてあげたりしながら覚えたことは、その後お母さんの介護をしたときに全て活かすことが出来たのです。お母さんにも百一歳まで生きていただけたのは、あのときお父さんの介護を体験していたから出来たのですよ。お父さんが常々子どもの私たちにお母さんを誰よりも大切にするんだよと諭されていたことが最後まで活きていたのです。

いつも一緒、親子の愛情は、この上なく尊い、安らぎにあふれたものです。ぼくも今年で八十八歳、しみじみそれを感じています。

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