お父さんに手紙を書くのは、20年前の結婚式の時の感謝の手紙以来ですね。
「この宝石箱をもってお嫁に行くと、きっと幸せになれるぞ」と言ってソウル土産に、らでん細工の宝石箱をくれましたね。幼稚園の頃からなので40年間ずっと大切にして持っています。
「私、お父さんのお嫁さんになる」と言っていた私の夢は、いつしかお父さんに似たタイプの人に変わり、実際、結婚したのは真逆のタイプでした。結婚の申込みにきた彼に、
「本当に幸せにしてくれるんだろうな。約束してもらうぞ」と、顔をこわばらせて言ってくれてありがとう。三人の子供にも恵まれて幸せな結婚生活を送っています。
「お父さんの事、好きな子、この指とまれ」と小さい頃、よく言って指に3人兄弟の私達をとまらせていましたね。思春期になり反抗期の時まで、そんな事言ったお父さんに「誰がそんな指とまると思うの?」って冷たく言ってごめんなさい。無視したり、聞こえないフリもしました。
「かずよ」お父さんの声で起こされた事は、今でもハッキリと覚えています。丁度、病院の心電図がツーとなった時間です。私達が病院につくまでは心臓マッサージは続けてくれていました。お父さん自身で会いに来てくれた事、うれしかったです。
入院中できる唯一の事はヒゲをそる事でした。お父さんの伸びたヒゲを、電気カミソリでそって「ハンサムになったよ」と言ってあげるしかできずにごめんなさい。「お父さんの好きな子、この指とおまれ」って言ってくれれば、いくらでも人さし指にとまってあげたのに、最後の方は言葉もうまく話せなくなり、指もあげる事もできなくなりましたね。
「お父さん好きだよ」って宝石箱に語りかけています。