父へ 50代 京都府 第11回 佳作

父の伴走
芝本 純子 様 53歳

 父の初盆が近づいた頃のこと。「お盆はどうするの?」私が父に問う。

「うーん、盆は空も混むからなぁ、時期をずらすかな」「えっ、空も混むの?」

夜空に無数の光線が飛び交うのがみえた。流れ星のようでもあり、蛍のようでもあった。

目が覚め、夢の中の出来事と気づく。

父が他界してから18年の歳月が流れた。脳梗塞だった。67才。あまりにも突然だった。一番驚いたのは父だったと思う。父は定期的に私の夢に出てくる。

子供の日に、遊園地で孫と遊ぶ父であったり、実家を売却して取り壊しが行われた夜に「体調が悪い」と実家のソファに身をゆだねるように休む父だったりする。

私の娘の成績が悪いと「そんなはずはない」と言い張り、娘の留学が決まると「英語を勉強しないと」と辞書を片手に机に向かっている父の姿を夢でみる。一緒に行くつもりなのだろうか。まるで今も生きているようだ。父が亡くなって失望感に打ちのめされそうになったけれど、夢のおかげか、父がいないという感覚がなくなっていく。

生前、父は口数は少ないが、時折ぼそっと言う。妊娠中のひどいつわりで食欲のない私に「もっと食え」。父とスーパーへ行ったとき、300円ほどのお惣菜を手にして、買おうかどうしようか私が迷っていると、父は「買ってこい」と小銭入れから三つ折りにきれいにたたまれたお札を出す。私が出産して父に初孫ができると「おむつかぶれには桃の葉だ」と庭の真ん中に桃の木を植えた。

今思うと私のことを気遣う言葉の数々だった。学生の頃は煩わしい時もあった。

大学受験で第一志望に不合格だったとき「俺のほうがずっとショックだ」と父から言われた。なんてことを言うのか、私のほうがショックに決まっている。

心の中で憤慨したが、実際に私も親となり、息子の大学受験では、自分の受験とは比較にならないくらいの緊張とストレスを抱えた。息子が不合格になったときは「私のほうがショックだ」と本気で思った。

人生というマラソンを私はゆっくりマイペースで走っていたのだが、父は真剣に私の伴走をし、いつもへとへとだったろうと思う。

今も夢に出てポツリとつぶやいていく父は、空という遠方からも走り続けているような気がする。

父へ

おかげで私の人生は幸せです。たまにはゆっくりしてください。

お供えしている好物の羊羹(ようかん)のお味はどうですか、何か食べたいものがあったらまた連絡ください。      娘より。

 

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