父の初盆が近づいた頃のこと。「お盆はどうするの?」私が父に問う。
「うーん、盆は空も混むからなぁ、時期をずらすかな」「えっ、空も混むの?」
夜空に無数の光線が飛び交うのがみえた。流れ星のようでもあり、蛍のようでもあった。
目が覚め、夢の中の出来事と気づく。
父が他界してから18年の歳月が流れた。脳梗塞だった。67才。あまりにも突然だった。一番驚いたのは父だったと思う。父は定期的に私の夢に出てくる。
子供の日に、遊園地で孫と遊ぶ父であったり、実家を売却して取り壊しが行われた夜に「体調が悪い」と実家のソファに身をゆだねるように休む父だったりする。
私の娘の成績が悪いと「そんなはずはない」と言い張り、娘の留学が決まると「英語を勉強しないと」と辞書を片手に机に向かっている父の姿を夢でみる。一緒に行くつもりなのだろうか。まるで今も生きているようだ。父が亡くなって失望感に打ちのめされそうになったけれど、夢のおかげか、父がいないという感覚がなくなっていく。
生前、父は口数は少ないが、時折ぼそっと言う。妊娠中のひどいつわりで食欲のない私に「もっと食え」。父とスーパーへ行ったとき、300円ほどのお惣菜を手にして、買おうかどうしようか私が迷っていると、父は「買ってこい」と小銭入れから三つ折りにきれいにたたまれたお札を出す。私が出産して父に初孫ができると「おむつかぶれには桃の葉だ」と庭の真ん中に桃の木を植えた。
今思うと私のことを気遣う言葉の数々だった。学生の頃は煩わしい時もあった。
大学受験で第一志望に不合格だったとき「俺のほうがずっとショックだ」と父から言われた。なんてことを言うのか、私のほうがショックに決まっている。
心の中で憤慨したが、実際に私も親となり、息子の大学受験では、自分の受験とは比較にならないくらいの緊張とストレスを抱えた。息子が不合格になったときは「私のほうがショックだ」と本気で思った。
人生というマラソンを私はゆっくりマイペースで走っていたのだが、父は真剣に私の伴走をし、いつもへとへとだったろうと思う。
今も夢に出てポツリとつぶやいていく父は、空という遠方からも走り続けているような気がする。
父へ
おかげで私の人生は幸せです。たまにはゆっくりしてください。
お供えしている好物の羊羹(ようかん)のお味はどうですか、何か食べたいものがあったらまた連絡ください。 娘より。