お母さんが亡くなって18年、お父さんはお母さんが逝ってしまった季節と同じ春に旅立っていきました。
今は廃虚と化してしまった生まれ育った家に18年ぶりに入りました。二階の本棚で“我が生涯”と記した一冊のアルバムを見つけましたよ。お母さんが亡くなって5年後にお父さんが整理してまとめたアルバムですね。“このアルバムが後何年続くかわからない。有為転変の軌跡”と表紙の裏に書いてあるお父さんの元気だった頃のなつかしい字。お父さんが中学5年生の時の学生服姿の写真。同級生6人との写真には“自分ともう一人の友だちだけが生き残った”とあります。水兵姿の若かりし頃のりりしいお父さんの写真を見て、「おじいちゃん、かっこいい! 私の好きなタイプ!」という娘の叫び声に、「どれどれ」と夫が覗き込んでいます。きっとやきもちですね。若かりし頃のお母さんとのツーショット写真には“人生の開花期”というコメント。“ないないづくしの中で長男誕生”。そして私が生まれ、昭和28年“我が家の完成”。その7年後に“庭作り”。昭和30年“土間の台所を板張りに、トイレは水洗トイレに改築”。昭和35年にテレビが来た時のことははっきり覚えているよ。テレビに足がついているのを見て、子どもたちが「へ~」とおもしろがっています。昭和37年“掃除機、扇風機ボーナスで購入。12800円なり”。そして昭和47年から写真はカラーに。私が就職で上京する時の写真には“寂しさをこらえて見送り”、私の結婚式の写真には“淋しくも嬉しい我が家の記念日”とありました。淋しそうな素振りはひとつも見せなかったのに。いいえ、きっと、その当時の私には自分のことでいっぱいで思いやる余裕がなかったんですね。アルバムの後半は孫達の写真がページを独占し、昭和62年でおしまい。
お父さん、お母さん、一歩、一歩、ひとつ、ひとつ、“我が家”を築いてきたんですね。国に歴史があるように、人にも、ひとりひとりにその人の歩んできた、精一杯生きてきた歴史があることを感じています。このアルバムを見てお父さん、お母さんの孫達も心に“何か”を感じていますよ。しっかりと“何か”を受け取っています。“何か”とは目に見えない、お金では買えない、大切な物です。
お父さん、お母さん、ありがとう。アルバムを通して感じた大切な物は伝えていきます。それが、お父さん、お母さんの命が繋がっていくことだから。