お父さん、お父さんが天国に旅立ってもうすぐ十年になりますね。
肝臓がんが再発し、たった六十日のいのちと宣告された事を、お父さんは知らなかったけれど、全てを察した様に、お医者さんやお母さん、そしてお姉さん夫婦に「自宅療養」を懇願しましたね。
車を運転できない私は、近くに住んでいても余り役に立てず、勤めのない日に顔を見に行く位しか出来ませんでした。でも私が枕元に座るとすぐ、自分が子供だった頃の事、戦争の事、七年以上も患っていた結核の辛い思いを話してくれました。
私にとって、それは思いがけない事でした。だって、それ迄お父さんと二人きりで話をした記憶がありません。大切な用事もみんなお母さんを介してだったから、私にとってお父さんは、お母さんの向こうにいる、余りよく見えない、少し怖い存在でした。そのお父さんが、今、私と話をしている。それはうれしい事でしたが…ごめんなさい、お父さん。それより私は、「俺の病気は何だ?」と、いつ聞かれるのではないかとそのことばかり恐れていたのです。
そんな日が続いた十二月半ば過ぎ、私がいつものように訪ねると、お父さんは、お母さんと二人で撮った写真を私に見せ、「父ちゃんが死んだらこの写真…母ちゃんが死んだら一緒にして、親父とおふくろの隣りに置いてくれ」
私は、体中から込み上げるものを抑え切れず号泣してしまいました。ふと気がつくと、涙の中に白く小刻みに揺れている物があります。お父さんが白いタオルを差し出してくれていました。私は、そのタオルで顔中をぐいぐい拭きながら、もう手放しで泣いていました。生まれて五十三年、この父親を心の底から気づかったことがあっただろうかと。
その翌日、お父さんが電話をかけてきてくれました。「千代子、父ちゃん幸せだぞ」あれがお父さんとの最後の電話、最後の会話でした。私は一生忘れません。父ちゃんが死んでももう泣くな。お前も二人の子の親だろう。私にはそう言っているように聞こえました。
ありがとう! お父さん……