あなたが亡くなってからもうすぐ一周忌を迎えますね。今、秋風が吹いて庭の菊が咲きはじめました。今朝、二枝切って仏前に供えました。遺影のあなたは笑っていますね。あのとき、病院のディルームで孫の栞奈が自分のバッグから突然取り出したカメラ。カメラの前で点滴のスタンドを横に孫にむけた笑顔の写真を、病室のベッドの上で見ながら自分の遺影用にと指定したその一枚が現実になってしまいましたね。私たちは、あなたとの写真をたくさん撮っておきたかった。ビデオにもおさめておきたかったけれど、それは確実に死を意識してと、思われたくなくて断念しました。
でも、孫が何気なく写した写真には、やわらかな笑顔を浮かべてつらい闘病生活を感じさせないほど元気ないつものあなたの姿でした。枕元のメモ帳には、自分の葬儀の段取り、戒名などを書き込んでいましたね。弔辞を頼む人、葬儀委員長、告別式に参列して欲しい人、長男を立てて欲しいので施主にと話したこと。ひとり病室で痛みと闘いながら考えていたのですね。自分の葬式はどんなふうになるのか楽しみだと、冗談とも本気ともつかない話をしていました。聞いていて本当に悲しくて、せつなかった。
人は誰しもがベッドの上で考えることは、治ること。治って退院すること。それらに希望を託しながら治療をしていたはずなのに、もう、あなたは可能性を捨ててしまったのですね。「もう、疲れた」それが最期のことばでした。あなたが病室で私に書き残してくれた手紙に私は返事を出すことができないでいます。私は、あなたとの四十年間の結婚生活は幸せでした。ひとことだけでもこの言葉をあなたに伝えたかった。
これからの私は、あなたが望んでいるように前向きに生きていきますよ。いつか、あなたに会いに行く日まで見守っていてくださいね。ありがとう。あなた。