母へ 30代 広島県 第2回 佳作

母を求めて─そして今、心を重ねる
藤谷 由紀子 様 37歳

 天国のお母さんへ初めて手紙を書きます。私が十二歳、妹が十歳の時に八年間難病の肝疾患を患い、私の小学校卒業を目前にして天国へと旅立ったお母さん。今も思い出すのは三十五歳のままの姿のお母さんと温かさ。

 私が幼い頃、お母さんに「お母さんの宝物は何?」と尋ねると、必ず私と妹の名前を挙げて答えてくれた。そのいつもの答えが聞きたくて、何度も同じ質問を繰り返した私。入退院を繰り返し、横になっていることが多い母と外で遊んだ記憶はない。母の寝ている布団の傍であやとりやままごとをしたり、本を読んで過ごした。母に編物を教えてもらったことがうれしかった。母からもらった小さな手紙の文字数が妹のそれより多いことに喜んだりした。黄疸が出て、体がつらいのに無理して運動会に来てくれたのに、他のお母さんと比べて恥ずかしいって思ってそっけない態度をとった、わがままな私。本当にごめんね。

 母が亡くなって、親代わりに育ててくれた祖母は私が十九歳の時に亡くなり、父と祖父が支えてくれた。壁にぶつかった時、つらい時、寂しい時、いつも心の中で母を求めて話しかけていた。私の心の中で現れるのは、35歳の優しい笑顔の母。病気の母を亡くして、私は看護師の夢を抱くようになった。いつしか母子関係の方面に進みたいと思い、助産師の道へ。25歳で結婚した私は、9歳、7歳、1歳の娘の母になった。助産師で働いていたけれど、仕事と家庭の両立ができず、今は看護教諭の道へ進んでいる。いつも中途半端な私、こんな私を母は何て言うんだろう。自分が親になって初めてお母さんの気持ちが痛いほどよく分かる。子供たちを残して亡くなることは、本当に心残りだったに違いないと思う。子供たちの成長する姿を見たかっただろうに。

 37歳になり、お母さんの年令を越えて、人間は限りある生命だから、その今を大切に生きたいと思う。私は、お母さんのように子供たちに温かい思い出を残すことができるのかな。私は家族のために生きて、そして人のために仕事をして、できることを精一杯して生きたい、そう思ってる。お母さん、いつまでも見守ってね。私もいつかお母さんのところへ行く時まで頑張るよ。いつも、ありがとう。

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