母へ 50代 東京都 第2回 佳作 広告掲載

「してもらえることの嬉しさ」のバトンをつなぐ
武部 純子 様 50歳

 私たち家族に余命三ヶ月と告知があり、その通りにあなたが逝ってしまってからもう二〇年も経ちました。

 痛み止めの麻酔のために意識が途切れがちになってしまってから付き添った夜。あなたの寝顔が未だに忘れられません。看病しているのは私のほうなのに、寝顔を見ているだけで不思議なことにとても甘えた気持ちになりました。きっと、いつでもなんでも家族のために「してくれたママ」に頼りきっていたからでしょう。ママ、ママと繰り返しつぶやきながら一人甘えた夜でした。

 いくつになっても何かを「してもらえること」の嬉しさ、幸せに気付いたのはあなたが逝ってしまってからでした。それまでは当たり前の日常……でも、自分を勘定に入れずに本当に過保護に家族の世話ばかり焼いてくれていました。ママが座っていたバスに偶然乗り合わせた私を見つけるなり、手招きして席を譲ろうとしてくれたことがありましたね。五〇代のあなたが二〇代の私に。遠い記憶の幼子に思えたのでしょうか。

「いつでも何でもしてあげたい」気持ちが私もわかるようになったのですよ。自分のことは二の次、命より大切なもの、何でもしてあげたくなる存在、息子をあなたが逝ってから4年後に授かりました。私や弟が愛されたように、本当に同じように慈しみ育て、またそうすることの喜びを知りました。妊娠中の病を超えての出産、仕事と子育ての両立、息子の成長の節々にあなたに報告したい、誉めてもらいたいと切に思いました。

「ありがとう」は「さようなら」と同義に思えて、とうとう口にできなかったことを今でもとても後悔しています。あなたに対する溢れるありがとう、いくら言っても言い足りないありがとうの気持ちを抱きながら息子を慈しみ育てています。それでいいんだよね、わかってくれるよね、ママ。

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