その他 60代 長崎県 第15回 入賞

届けたい年賀状
川部 えり子 様 68歳

小学校六年の春、新学期。隣のクラスからは笑い声が聞こえていた。今度の先生はどんな先生だろうかと、わくわくしていた。教室に入ってきた先生は厳しい顔でいきなり喝を入れた。クラス全員声も出せず緊張した。怖い、それが先生の第一印象。

 運動会の鼓笛隊の指導には特に力が入っていた。厳しく指導される生徒を横目に私はふざけちゃいかんと自分に言い聞かせた。本番で大成功した時は、大きな声で喜んでくれた先生の姿に皆で目を丸くした。褒められたことは思い出せないが、先生のあの笑顔はよく覚えている。お酒好き、強いのか弱いのか飲んだ翌日は一日自習が多かった。私は勉強よりおしゃべりが得意だったのでとても楽しい時間だった。

 先生が当直の日、級友たちと泊まりに行ったこともある。先生が作った夕食がおいしかったこと。夜は宿題を教えてもらい得した気分になったこと。父親を早く亡くした私はお父さんってこんな感じかなぁと感じ、うれしかった。

 卒業式、「ありがとう。元気でね」先生は校門から出るひとりひとりに手を握り、声をかけた。私の番になった時、しっかり手を握り「頑張らやんよ」と言ってくれた。母と一緒に帰る道すがら、その言葉が耳から離れず、なぜか涙がポロポロ流れて止まらなかった。

 私が四十歳の春、同窓会が開かれた。先生や級友達に会える楽しみで眠れなかった。しかし、先生は当日欠席された。先生に聞いてほしかった。褒めてほしかった。先生のいない同窓会は何だか寂しさが残った。どうしても先生に会いたい。数人で先生宅に行ったが留守だった。

 それから間もなく風の便りで先生が亡くなったことを知った。全身の力が抜け、心に穴が空いたよう、信じられず、懐かしさと悲しさがただただあふれた。

 後日、弔問した際に、先生の奥様は「主人が亡くなり、教え子や知人との縁も遠ざかり寂しい」とおっしゃった。「毎年、夫婦で貴方の年賀状を楽しみにしていたのよ」と聞き翌年からは奥様に出し続けた。

「いつも仏前に置いています」と励まされ二十五年が過ぎた。

 そして昨年、奥様も先生の所へ旅立たれた。空の向こうの住所がわかれば、今年も年賀状を出したいと思っている。

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