「お母さん、あれなぁに?」
電話の向こうで、さも嬉しそうに、面白そうに笑う声。「アッハッハッ」
「うす茶色の麻縄みたいな物」
「フフフッ」と今度は思わせぶりな笑い。
「干ぴょう、干ぴょうだよ、すぐカビるから冷蔵庫に入れて早く食べなさい」
「干ぴょう? 作ったの?」
「そうだよ、ゆうがおを細長くむいて干したんだよ」
「へぇー」しか言えない私。スーパーで見かける白くて真っ直ぐ背伸びしているあれとは全く違う物が目の前にある。
ミソ、ジャム等、なんでも手作り。
広い台所で、時おり鼻歌等うたいながら、こまめに動き、その手は休むということを知らなかった。
八十六歳の時、父と共に介護施設に入居。
少しづつ、少しづつ母は子供になり、童女になり、そして最後は赤ん坊になった。
赤ん坊の母が一度だけ、病室のベッドで不意に言った。「お父さん、どうしてる?」
「ベッドで寝ているよ」「あっそう」安心したように微笑む姿に胸を撫でおろす。
父はもういない。そのことだけは最後まで隠そう。歩くことも、食べることも出来なくなり、そして神さまが母の頭に残してくれたものは、父と兄と私の顔だけ。それだけでいいと心から思った。
コロナ禍で面会もままならぬ二〇二〇年暮れ、父の元へ旅立った母。
私は大事な物をしまってある引き出しを開けるように、あの日の「アッハッハッ」という元気で軽やかに歌うように笑った母の声を思いだす。笑い声は、「なにクヨクヨしてるの、こっちは大丈夫」にも聞こえる。
「あの干ぴょう美味しかったよ」心で言えば「そうかい、それが一番だね」と言っている気がする。もう一度、お母さんから生まれた、あの干ぴょうが食べたいなぁ。