母へ 70代 千葉県 第15回 佳作

前掛け姿の母さん
佐藤 ヨキ子 様 79歳

あれは、私が小学三年生の授業参観日の時でした。

席が後の方だった私に「成績の悪い子供を見に、魚臭い前掛け姿で来てるよ」と話している保護者の声が聞え、振り返ると母さんの事でした。初めて母さんが参観日に来てくれたと、私は嬉しかったのに私が勉強の成績が悪いから、あんな事を言われたと悲しかった。家に帰ると、今日は行商が早く終わったのでリヤカーを校庭の柳の木の下に置いて、来てくれたと母さんから聞きました。「嬉しかったよ、また来てね」と伝えました。

家の生活が苦しく三十代からリヤカーを引き、魚の行商をしてましたね。夜は競りに出掛け、朝早く行商の支度をし働いてた母さん。私が一生懸命に勉強をし成績が良くなれば、母さんが魚臭い前掛け姿で学校に来ても、嫌な思いをさせずに済むと考えました。次の日から勉強をしました。高校を卒業し大学に行きたかった私は、母さんを少しでも楽にしたいと、銀行に就職しました。

母さんは、九十三才から老人ホームに入りました。ここ三年間は、コロナ禍で会う事も許されませんでした。令和三年九月五日、母さんは亡くなりました。コロナ禍の葬儀で私は参列出来ませんでした。

先日、墓参りに行きました。列車が最寄り駅に着くと、あの日が思い出され涙が溢れました。五十六年前、私は初めての子供を生後三十七日で亡くしました。遺骨を抱いて、改札口から出た私の元に、前掛けで顔を押え、小走りで駆け寄って来た母さん。そんな思い出を胸に家に着き、お墓参りに行きました。夕方、浜に行き公園のブランコに乗り、日本海に沈む夕日を見ました。

二十七年前、私は癌の手術をし退院した後、母さんの住む家に行きましたね。二人で砂浜に腰を下ろし黙って見た夕日の美しさ。「何で、お前ばかりが苦労を……」と、その時も前掛けで涙を拭いてましたね。いつも心配ばかり掛けた私でしたね。母さんが亡くなって二人の思い出が蘇りました。

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