母へ 60代 埼玉県 第14回 銀賞

オカンのお守り
小松崎 康夫 様 60歳

 お袋、覚えてるか。高校卒業後、俺が鮨懐石店に住み込みで働いたときのこと。あの時は大変でさ。初めは追いまわしから、前菜場、揚げ場、板場そして煮方と休む暇もなかった。叱られる事も多く、目を真っ赤に腫らして客の前にも立った。何度辞めようと思ったかわからない。何度実家に戻ろうと思ったかも。だけどお袋は何も言って来なかった。その代わり、事あるごとに色んなモノを送ってきたよな。伊予柑に、置物のたぬき。折り畳んだ一万円札。「なんで?」なんて聞かなくてもわかった。伊予柑は「いい予感」って意味だし、たぬきは「他抜き」。つまり他の仲間を追い抜けるように。一万円札は左右の数字を重ねて一億円札に見えるように折る。お金に困らないようにってことだろうか。

 そのおかげで俺は八年後自分の店を持ち、その三年後には奄美大島に二号店をオープン

させた。

 はじめて店を持つと決まった時も、わざわざ電話をかけてきて「定休日は絶対水曜日にしなさいよ。努力が『水』の泡になるから」と言った。今は大盛況で休む暇もない。水曜日だって店を開けてるよ。お袋の験担ぎも不要だ。

 ただなあ。ひとつだけ謎がある。フェリーに乗って奄美に向かう俺に「お守りだ」と言って渡した巾着袋。なぜか一円玉が四枚。「ご縁( 五円)」の間違いじゃないかと思ったよ。昔からお袋はよくご縁を大切にしろって言ってたから。でも答えは、多分、違う。それが最近わかったんだ。お袋は、きっと、俺の船酔いを心配してたんだよな。昔、家族旅行で『ははじま丸』に乗った時、あまりの揺れに我慢できなくて全身が汚れるほど吐いた。あの時お袋はありったけのティッシュやタオルで俺を拭きまくったんだ。だからこのお守りはきっと船酔いのためだろう。俺が酔わないように。四枚の一円玉に「酔えん」の気持ちを込めて。

 いつか俺が天国に行くときは土産話と一緒にこのお守りを持っていくよ。そのときは二人で懐かしい思い出に酔いしれよう。

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