艶子さん、君と僕とは、ついに添いとげられないまま、君が亡くなって十五年、僕はいまだに生きて、八十八歳の米寿を迎えたよ。
この歳になって、無性に思い出すんだよね、君のこと。
だって、君は僕の初恋の相手だもの。あれは、まだ、戦争中だったから、十六歳の僕は下関の軍需工場で、学徒動員にかけられ、飛行機の部品作りをさせられていた。そこに、女子挺身隊の一員として、十五歳の君が入って来て、一緒に働くことになったんだよね。
当時、僕らは碌に勉強もできず、不如意な日々を過ごしていたが、唯一、希望の光が君との出会いだった。
忘れもしない、ある日の夕方、突然、焼夷弾が、僕らの工場の屋根を突き破って落ちて来た。まさに奇蹟であったが、その焼夷弾は不発で、僕らは命拾いしたのだが、僕はとっさに君の上に覆いかぶさり君の身を守るのに必死であった。それから僕は君の手を引き近くの粗末な防空壕に連れて行き、しばらく身をひそめていた。まだ、何が起きるかわからなかったからね。その時、恐怖で震えていた君を、そっと抱きしめたのを覚えているかい。あどけなさの残る乙女の君に、僕はその時恋したんだ。
そして終戦、僕たちはお互いの住所もわからないまま慌ただしく別れたのだったね。
僕は中学四年に復学し、山口線に乗って通学していた。別れて約一年後、まさか、その山口駅でばったり君と邂逅しようとは、神様はなんて粋なことをするんだとうと、僕は感謝した。
それから二年有余、市の有名な百貨店に勤める君と貧乏学生の僕との交際が続いたよね。そして、僕の東京の大学行きが決まり、僕は君との同行を願ったが、僕の進学の邪魔はしたくないと思ってか君は、僕に何も知らせず程なくお見合をして結婚したとの情報、学生の僕にはどうしようもなかった。
今思いかえせば、あの時、無理やりにでも東京へ君をさらって行けばよかったのにと後悔しきりだが、これも二人の運命だったのであろう。
黄泉の国で再び君と逢えるだろうか。