父へ 70代 京都府 第12回 入賞

父の文箱
和田 紀世美 様 78歳

 お母さんが、とても大事にしていた黒塗りの文箱があります。あの戦争時の戦地からのお父さんの便りが全て納めてあります。

お父さんからの便りが届くと、三人の子供達はお母さんを取り囲んで、何度も手紙を読み返してもらっていました。いつもお父さんは、子供ひとりひとりの名前を、呼ぶように並べて書いて、(オ母サンノ言フコトヲヨク守リナサイ。ミンナゲンキデアソビナサイ)と書いて下さっていますね。ところで、文箱の中に、お父さんのものではない手紙が一通あります。その手紙の差し出しは、山形からで、お父さんの部隊の初年兵のご両親からです。あの戦争末期、多分便箋が身近になかったのでしょうか。お父さんは、お母さんから届いた手紙を読んだ後、初年兵の青年に、お母さんからの手紙の裏を使って、山形のご両親へ、無事な近況を報告する手紙を書くよう勧めたのですね。久々に息子さんから届いた便りを、ご両親は、別の紙に写し取った後、我家の住所を部隊に問い合わせ、礼状と、表裏使われた便箋を、山形から母のところへ返送して下さったのでした。一枚の便箋が、お父さんの部隊の広島から山形、山形から瀬戸内海の因島へ戻ってきたのでした。あの明日をも知れない戦時下、こんな温かい恩愛があったのですね。お父さんは、このことご存知ないでしょうね。お母さんは、「世の中に、女たらしとか男たらしとかいるけれど、お父さんは、人たらしだったね」と、誰からも慕われたお父さんを懐かしみました。

お父さんは、焦げた原爆の石が一つ入った骨壺になって帰還されました。「あの石は、私では

ないよ」と、お父さんは言っています。山形の青年は無事だったでしょうか。青年のご両親のその後も判りません。全てを呑み込んだあの戦争が、二度と起きませんように。お父さんの笑顔、あの声、温かかった背中の思い出が、文箱を開けると蘇ってきます。

 

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