知らせを受けて病院に駆けつけた時、もう意識が無かったお父さん。八十歳でも、また元気になれると思っていたのに。
お父さんの胸に顔をうずめて、大声で泣きました。呼びました。お父さんの胸で泣いたのは、これが最初で最後です。
お父さんは、私がお母さんのお腹の中にいる時に戦地に赴き、終戦後も捕虜となり、復員した時、私は五歳になっていました。そして、一緒に暮らし始めたのは七歳から。無口なお父さんに、甘えられなかった少女の日。でも、お父さんが大好きでした。穏やかで真面目で、戦後の暮らしの中で、家づくりをする姿は、『大草原の小さな家』の “父さん” そのものでした。
二十歳を過ぎた頃、「結婚するなら、お父さんみたいな人がいい」と言ったのも本気です。なのに結婚の前に、きちんと「育ててくださって、ありがとうございます」の挨拶が出来なくて、今も心にわだかまっています。気恥ずかしくて、タイミングを逃しました。伝えるべきことは、伝えるべき時に、きちんと伝えなくてはと、後悔と共に学びました。
だからというわけではないのですが、私の子どもたち三人が結婚する時に、ちょっとした儀式をしました。結婚式前夜、夕食の後で本人を呼び、夫が
「おまえを育てたことで、およそ世間の親が味わうであろう喜びも、辛さも、怒りも全部味わうことが出来た。それが嬉しい。ぼくたちの子に生まれてきてくれて、ありがとう」
と言いました。すると、どの子も
「生んでくれて、ありがとうございます」
と、素直に答えるのです。
この、親としての幸福感は、言葉にしてこそ、じっくりと届くもの。私は結婚して五十年にもなるのに、言えないままのこの言葉を今、言います。
「お父さん、育ててくださって、ありがとうございます。あなたの娘で幸せです」