父へ 60代 東京都 第11回 入賞

父の娘
萩原 康子 様 68歳

 お父さん

そちらでもうお母さんには会えましたか?

「お父さまがまだ生きていらっしゃって、お幸せね」

六十代半ばの私の年代では親を見送った人が多いので、よくそう言われましたが、そのことが亡くなってみてよく分かりました。この年まで生きていてくれたのは、本当にありがたいことでした。

新潟高田の貧しい農家に生まれたお父さんは、教育がないことで悔しい思いをたくさんしたので、私たち四人姉妹には貧しい中でも教育だけは身につけてくれましたね。

そのお陰で私たちは、人並みの暮らしが送れていると感謝しています。今から半世紀近く前、まだ女性が大学に行くのが当たり前の時代ではありませんでしたから。

お父さんは、人当たりがいいので老人ホームでは実に評判が良くて、本当に助かりましたよ。

訪ねた私が、「娘の康子よ」といくら言っても何の反応もなかったのに、「石橋さん!」とお父さんの苗字を呼ぶと、パッと目を開けましたね。

ごめんなさい。お父さんと会話したくて、私はヘルパーを装いました。

「石橋さん、お子さんは何人?」

「娘ばっかり四ったりで。それがあなた、そろいもそろって優秀で… …」

お父さんは一度として私たちを褒めたことがなかったというのに、これは一体どうしたのだろうと、唖然としましたよ。

「奥さん、どんな人でしたか?」と訊くと「そりゃあ、奇麗で優しかった」と言ってくれて、とても嬉しかったです。厳格な父に合わせて生きて、伸び伸び出来ずに亡くなったお母さんを思うと、いつもせつなかったので…… 。

お母さんがいなくなってから三十年、よく頑張りましたね。

連れ合いを失うのは男性にとって本当に辛かったでしょうに、家事と仕事を頑張り、百一歳まで生きてくれました。

意気地なしの私は、夫を失ったら自分らしく生きられる自信がありません。

でももしそんな時が来たら、あなたの娘であることを思い起こそうと思います。

逆境と孤独に耐えたお父さんの娘だということを。

康子

 

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