朋弥にとって、俺はどんな兄だったのかな。泣き虫なのに口が悪くて暴力的で、小さい頃から喧嘩ばかり。いつも朋弥を泣かしていた記憶が残っているよ。ごめんね。
朋弥が癌だったと母さんから伝えられた時「今の医療ならすぐ治るでしょ」なんて軽く考えてた。仕事から帰宅して、二階で翔太とゲームをしている朋弥と一言会話してから寝るのが幸せだった。入院してからは寂しくて「早く治して帰ってこいよ」って毎日メールしてたね。
何が食べたいって聞くと「拓ちゃんの作るラーメンが食べたい」。治ったらどこに行きたいって聞くと「拓ちゃんとまた京都に行きたい」。どれだけ俺が嬉しくて、同じくらい寂しかったか朋弥にわかるかな。
二月のある日、仕事から帰宅すると母さんから朋弥が末期だと伝えられた。その夜は悲しくて悔しくて、涙が溢れて眠れなかった。仕事なんてどうでもいい。朋弥と一緒にいたい。そう決心したよ。
それからは母さんと交代で病院に泊まって夜を過ごしたね。毎晩、薬じゃ抑えられない苦しみに一生懸命耐えたね。俺は泣き虫だから大声出して苦しんでいる朋弥を見て耐えられなかった。涙が溢れて、朋弥の手を強く握りながら「元気になれ、元気になれ、一緒に旅行に行こうよ。お前がいなくなったら俺はどうしたらいいんだよ」って朋弥が驚いて落ち着いてしまうほど俺は泣いてたね。
日を追うごとに増える薬に、朋弥の意識も徐々に奪われ、子どもみたいな発言も増えて、より一層愛おしく、失いたくない気持ちが大きくなったよ。最後の最後、親戚全員で看取ることができたのは、きっと集まるまで待っていてくれたんだよね。意識のない中でも、きっと俺の声は届いていたと信じてる。癌が治ってるなんて嘘を言ってごめんね。
小さい頃は泣かしてばかりだったのに、大人になってからは俺が泣いてばかり。朋弥にとって、俺はどんな兄だったのかな。俺にとって、朋弥は大好きな可愛い弟だったよ。これからの人生は朋弥の分も全力で生きるよ。生まれ変わってもまた兄弟になろうね。