わたしの大好きだったおばあさん。
おばあさんはわたしのお母さんのお母さん。きれいでやさしいひとだった。
おばあさんに会うのはお盆や年越しの時。
お盆には鈴の鳴る紅い下駄、年越しにはミルク飲み人形を買ってくれた。
「なにがほしい? なんでも好きなもの、選びなさい」。店先でそう言われて、天にものぼる気持ちで、迷いに迷って、途方にくれて、でも嬉しくて、「これ……(ほんとにいいのかなぁ、高いけど)」。胸に抱いて、おばあさんのところへ、商品を持っていったっけ。
笑顔のおばあさんが手提げ袋からがま口をとりだす……その仕草、そのおおようさ。六十年たった今もまぶたの裏に残っている。
おばあさんはほんとにわたしのお母さんのお母さん? いつも不思議に思っていた。
だってお母さんはわたしにちっともやさしくない。
「この子が不憫(ふびん)だよ。おまえが子どものとき、家のこと手伝わせて、一回でもあかぎれをこさえさせたことがあったかい」。
ある時、おばあさんがお母さんを怒っていた。あかぎれが膿(う)んだわたしの手を見つけたときのこと。ろくに手当てもされていない。
家の手伝いをすると、お母さんは機嫌がよく、笑顔を向けてくれる。わたしは愛されたくて、水仕事など自分から進んで手伝っていた。四人兄弟の一番上のわたしだった。
その日、おばあさんは膝の上にわたしを抱き、頭をなで誉(ほ)めた。「なんてきれいな髪なんだろう。こんなにつやつやとひかっている髪、いい髪だ」。そして手に薬をつけてくれ「けなげだなぁ」となみだぐんだ。
おばあさんの言葉は今でも耳に残っている。おばあさんのやさしさは今でもわたしのこころにしみてわたしをうるおしている。
今、わたしの髪は白くなった。今のわたしを見てもおばあさんはきっと誉(ほ)めてくれる。
「白くてもつやつやして、いい髪だ」