父へ 50代 東京都 第8回 入賞

お父ちゃんの優しさ
原田 敬子 様 52歳

 お父ちゃんの一周忌を無事に終えてホッとしている所です。亡くなる数日前から痛みに苦しんで辛そうな顔ばかりの姿しか見ていなかったから一日も早く楽になってほしくてお婆ちゃんに迎えに来てとお願いした程だったんだよ。お父ちゃん身体丈夫で78歳にして生まれて初めての入院で看護師さんらも先生方も驚いていたよね。私が子供の頃、毎日の様に仕事! 仕事!と残業は当たり前に夜勤も沢山あって朝方帰って来たりしてたよね。仕事場で鉄板使う中、手首を切ってしまっても病院行かず包帯きつく巻けば大丈夫だと仕事行って、またある時には誤って熱湯背中に浴びても平気だからと仕事行ってたよね。癌だと分かる迄のいろいろな検査に日帰り手術でも担当医から「お父さん我慢強いですね」って云われて改めて「お父ちゃん格好良いなあ」って思ったよ。一年間の長い入院生活の中、顔だす度に「身体に気をつけろよ」、帰る時には必ず「ありがとう」って手振ってくれたよね。点滴の跡のあざだらけの痛々しく細くなった腕で姿が見えなくなる迄、手振ってくれたよね。お父ちゃん同窓会出掛ける度に皆から「食欲あって、一つも薬を服用せず相変わらず元気だな!」と云われるんだと自慢していたよね。三食に三時も必ず摂る健康なお父ちゃんだったものね。そんなお父ちゃんが入院と共に食事もできなくなって日に日に小さくなって行き私が病室に入ると「お昼食べたか」「まだなら食べておいで」と自分は点滴だけなのに私の心配してくれていたよね。亡くなる一週間前に病院側から個室に移る様云われて移動したら泣きながら子供の私に謝ってたよね。「一年もの間、沢山お金使わせてごめんな!  本当にごめんな! すまない」と。私は涙こらえて「今迄一生懸命働いてくれてのお父ちゃんの元々のお金なんだから謝る事も遠慮する事もないよ」って励ましたら、何度も「有難う」って又、涙沢山流していたよね。私の方が「有難うだよ!」って一言しかあの時云えなくてごめんね。涙こらえるのに必死だったから許してね。テレビのドキュメンタリーでお父ちゃんと同じ病気の患者さんが涙しながら「今迄家族の為に働いて身を削って来たのに何故自分が死ななきゃならないんだ」と怒り狂って訴えていた姿が今でも目に焼き付いています。改めて父親の偉大さが身に染みると共に父親の優しさの大きさに沢山感謝しています。お父ちゃん本当にありがとう。大好きだよ。これからもずっと。

 

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