ありがとう。あなたに、いちばんにそのことばを贈りたいです。あなたがここにいなくなった今、私はあの日よりもっと近くに、あなたを感じています。じいちゃんはいつも、初孫の私をかわいがってくれましたね。じいちゃんのお膝の上は、私の特等席でした。
……そんな私も、二十歳になりました。私たち家族は、私の十一月の誕生日までは必ず生きてほしい、と願っていました。大好きなじいちゃんに、振袖姿を見せるためです。母と私は、成人祝いの日取りを「もう少しだけ、早めようか」とも話していました。けれど、私のたっての希望で、「大丈夫。じいちゃんは、生きてくれる」と、十一月に振袖を着ることを決めました。
お祝いの日は、父方の親戚がたくさん集まってくれました。初めての振袖は、お腹が少し苦しかったです。私の振袖は母がウン十年前に着たもので、帯は、両親の結納のときに母がつけた、金色の綺麗な帯でした。私はしゃんと伸びた背筋に、「大人になる」という責任を、感じはじめていました。
ひとつだけ空いたお祝いの席に、悲しみを与えなかったのは、ばあちゃんです。「美穂は今日、成人になったよ。行ってくるね」と、朝お仏壇に語りかけてきたというのです。じいちゃん、あなたはとても愛されていたんですね。そして今も、それは変わりません。
私はそのとき初めて、「”悲しい“だけではない死もある」ということを学びました。私はかつて、死は怖いものだとばかり思っていたけれど、必ずしもそうではないのかもしれませんね。その人が「今」を精一杯生きたら、ここに残してきた誰かに、愛や勇気を与えてくれるのですね。
じいちゃんに伝えたいこと、ほんとうは、まだいっぱい、いっぱいあります。会わせたい人も、います。でも、じいちゃんは今、私のすぐ近くにいます。時に私の背中を押してくれたり、さまざまな気付きをくれたり、心から叱咤激励(しったげきれい)してくれたりします。
じいちゃん。私は今、「今」を精一杯生きています。