お父さん。庭にあなたが植えてくれた「桜」の木、やっぱり、さくらんぼでしたよ。ほら、僕も妻も言ったでしょ。「花の終わったあと、小さいけど赤い実がなってる。おいしそうだよ」って。
でも、そのたびに、 「いいや、あれは、断じて桜だ。あんなのが、さくらんぼであるものか」
あなたは首を振っていましたね。
けど、ほんとうは、あの木がさくらんぼだって、知っていたんじゃないんですか?いいや、三十代も半ばになった僕のところに、ようやく嫁に来てくれた妻がさくらんぼ好きだと聞いて、わざわざ苗木を買いもとめ、植えてくれたんじゃないんですか?
でも、数年を経て、やっと実がなってみると、それが思いのほか小粒だったものだから、頑固に首を振っていたんでしょ。
あなたが亡くなった翌年の春、妻と二人で、その赤い実を食べてみたんです。おいしかった……。お店で売っている高級品とは比べるわけにいかないけれど、でしゃばらず、でも、しっかりとした甘みが、充分な果汁といっしょに口いっぱいに広がって、なんだか、あなたの顔が浮かんできました。泣けました。隣で、妻も泣いていました。
「これは、おじいちゃんが植えてくれた、さくらんぼの木だ」
あなたが亡くなってから生まれた初孫も、今年、中学生になりました。毎春、庭の「桜」の木を見上げては、実が赤らむのを楽しみにしています。