父へ 40代 神奈川県 第5回 入賞

初めて「おやじ」と呼んだ日
田巻 衛 様 49歳

 あなたのことを、「おやじ」と呼んだことは一度もなかったですね。幼い時分は、もちろん「お父さん」と呼んでいたけれど、自我が芽生えてからは一度も呼びかけたことはなかったから。 友人との会話でも、父親のことが話題にのぼると、私はいつも口をつぐんでいました。あなたが一番よくわかっていただろうけど、私はあなたが好きではなかったから。というより嫌いでしたから。

あなたは弱かったと中学・高校時代の私は思っていました。しょっちゅう病気をし、仕事を変え、そしてアルコールに溺れ、さらに母に苦労をかけどおしでした。毅然としたところなど微塵もないとさえ感じていました。

あなたが亡くなって今年で18年が経つのですね。何年経ったかなんて気にならなかったけれど、ある出来事があって、数えてみる気になりました。今夏、皮肉にも心待ちにしていたロンドン五輪開幕の日に帯状疱疹が発症したのです。

右側の頭皮と右顔面に夥おびただしい発疹ができ、そのヘルペスの一部は眼球にも及びました。そして、顔面麻痺の後遺症が残り、今の私の顔は歪んでいます。元の顔に戻りたいと思って昔のアルバムを見ていたら、元の私の顔があったので、はっとしました。今の私と同年代の頃のあなたの写真です。

黒く日焼けしたあなたの顔は凛々しかった。あなたが手術した後、家族そろって熱海に行ったときの写真ですよ。覚えていますか。

それと比べたら、私はひどいものです。顔が歪んだくらいで、やる気をなくし、酒に溺れていました。四肢はしっかり動くし、頭だって十分に働いてくれるのに。

あなたを心ひそかに蔑んでいたのは、私の一面的な見方だったのでしょう。あなたは幾つもの病気を乗り越え、解雇されてもまた次々に仕事を探して歩いていたのですから、家族のために。今なら、素直に謝れます。

おやじ、ごめんなさい。

そして、立ち直ろうとする気力を私に与えてくれたこと、感謝します。

おやじ、ありがとう。

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