妻へ 80代 岐阜県 第2回 入賞

—天国の妻へ— 愛の別れ
岡田 実 様 86歳

 安らかに、眠れていますか? あなたと永別してより、私はよく眠れません。まだ杖は離せませんが、足の痛みはだいぶよくなりました。

 最近うれしい事がありました。あなたとよく散歩をした、町内にあるポストまで、行き帰りに必ず一度ずつ、道辺の石に座って、休まなければ行けなかったのですが、往復休まずに行けたのでした。

 あなたと死別してから、私は一人で生活しています。掃除、洗濯、買物、炊事、でも、いつまで体力がつづくかわかりません。何しろ八十六歳になったのですから、何事をするにも決してらくではありません。

 家の中の、あなたの生活の跡は、そのまま残してあります。洋服ダンスのすべての服も、鏡台、化粧品もそのままです。引き出しの中の時計は、カチカチと音を立て、正確な時を示しています。あなたはロマンチックな人でした。だから表の洋間をあなた好みの部屋に模様がえをしたのです。側面の書棚はそのままですが、中央に新品の机を置き、あなたの写真を飾り、花を活け、ブドウ酒とトルコで買ったグラスを置き、片側の壁にあなたが買ってきたフランスの水彩画をかけ、下の台に仏像、隣りの台にカージナルテトラを入れた水槽、戸棚の上に小熊のぬいぐるみ。ステキな部屋になりました。あなたがいつもリビングで座っていた、白いソファーを、庭に面した窓際に置き、表の外の風景を、ソファーに座ってぼんやり私は眺めています。

 窓から青空が見えます。ガラス越しに、白く輝く雲が、ゆっくりと形を変えながら、流れています。人はあの空を天国と言いますが、あなたと私の愛がまだ心でつながっている、ロマンチックな部屋を、やさしいあなたが笑顔で、のぞき込んでいるような、気がしています。さようなら、あなたに言えなかった言葉を、愛情と、哀切さをこめて……

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