母へ 父へ 60代 埼玉県 第10回 佳作

「指を返して」言ってはいけない言葉
加藤 純子 様 65歳

 父さん、母さん、私、65歳になりました。1歳半で大火傷をおい、死ぬと言われ、親戚の人が集まったそうですね。この話は姉から聞きました。その時に死んでしまえばよかったのにと思った事もありました。

小さい時、近所の子供達から、よくいじめられました。「やーい足を見せろ、指がない。足を見せたら遊んでやるよ」。私は泣くしかありませんでした。そんな時母さんは、私の手を力いっぱいにぎりしめてくれました。私より父さんと母さんの方がもっとつらかったでしょうね。いじめられながらも両親の愛情で素直に育った私は、15、6歳の時少し反抗期になり、言ってはいけない言葉を生れてはじめて、言ってしまいました。

「私の指を返して」。二人とも泣きながら、「自分たちの指でどうにかなるのなら」と……。両親が生きている時に謝ることが出来ませんでした。本当にごめんなさい。天国の両親にもうひとつ言わなかった事があります。

私がなぜ、両親の嫌いな水商売をしたのか。昼間はどうしても足が気になり、堂々と生きられませんでした。夜の仕事は足を気にしないで、仕事が出来ました。バブルにのり店を持ち、いつか両親に大きな家をプレゼントしたいという夢がありました。28歳でその夢もかないました。父さんが亡くなり、大好きだった母さんも私の前から突然、脳梗塞で亡くなりました。大雪の寒い日でした。亡くなる前の日、母さんは何度も私の部屋へ来ましたネ。少し私は不思議な気がしました。最後に見たうしろ姿に「ありがとう」と言おうと思ったのに言えませんでした。だって明日も会えると思ったから。納得のいく分かれ方はないのですネ。

妹が若くして亡くなり、父母姉と私の前からいなくなりました。私もいつかそちらに行きます。そしたらみんなに感謝の気持をいっぱい言いたいです。ありがとう。おかげさまで精一杯、65年、生かさせてもらいました。

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